愛情から生まれた“ふゆみずたんぼ”

紅葉も鮮やかな広葉樹の森を貫く東北自動車道を北上すると、朝もやの向こうに雪を頂く栗駒山が見えてきた。麓に広がる大崎平野は見渡す限り田んぼで埋め尽くされている。この辺りは古くから米づくりが盛んで、人気のブランド米“ササニシキ”や“ひとめぼれ”の誕生地としても知られている。

収穫を終えた蕪栗沼周辺の田んぼ

北上川、鳴瀬川などの河川が、高低差の少ない平野で蛇行して出来た湿原には沼が点在し、この時期になると快適な越冬地を求めて、多くの渡り鳥がシベリアから飛来してくる。宮城県最北部の伊豆沼は日本最大級の越冬地で、1985年に国際的に重要な湿地を保全する「ラムサール条約」に登録されている。

伊豆沼に近く、もともと湿原や沼だった土地を開墾した田んぼが広がる「蕪栗沼(かぶくりぬま)」周辺にも、沢山の渡り鳥が飛来してくる。落ち穂や、あぜ道の草など冬の貴重な食料が豊富な田んぼに囲まれた場所は、鳥たちにとって、快適な冬のねぐらを提供している。周辺の環境保全に取り組んでいる「蕪沼ぬまっこくらぶ」の伊藤さんの案内で、蕪栗沼を訪れた。田んぼを取り囲むように伸びる農道を進み、土手に突き当たった場所にプリウスPHVを停めた。背丈ほどの枯れススキを分け入って坂を上りはじめると、かん高い鳥の声が強まってくる。土手が視界の下方へ退いたその先には、夢のような別世界が広がっていた。葦が点在する水面が冬の静かな陽を浴びて輝くなかに、沢山の渡り鳥が羽を休める美しい光景だ。灰色の幼鳥をいたわるように寄り添う白鳥、田んぼの餌場から戻ってきたマガンの群れ、しきりに泳ぎ回るオオヒシクイなど、野鳥好きでなくとも見入ってしまう特別な時間が流れている。

蕪栗沼に飛来した渡り鳥たち

渡り鳥が食料や羽毛のために猟られていた頃には、絶滅が心配されるほどその数を減らしていたが、保護の対象として法整備がされるようになると、徐々に回復し、今では蕪栗沼に飛来する渡り鳥はマガンだけでも4万羽を越えるようになった。しかし、しばらくすると喜んでばかりもいられない事態に陥った。沼は自生する葦の枯れ草の沈殿や土砂の流入によって、年々水深が浅くなり、縮小しはじめたために、冬にやってくる大所帯を支えきれなくなってしまったのだ。滞った水に混じった大量のフンが腐敗して水質が悪化し、渡り鳥の健康被害が出始めるようになる。沼に注水して一定の水位を保ち、排水して汚泥を排出する治水対策や、沼地の葦や樹木の刈り取りなどの対策が取られているが、大幅な改善にはいたっていないのが現状だ。

この話を聞いて立ち上がった米づくり農家がいる。「伸萠ふゆみずたんぼ生産組合」の三浦さんは、冬の間も自分の田んぼに水を引いて渡り鳥の越冬地を拡大しようと提案したのだ。近代農法では冬の間はできるだけ田んぼを乾燥させるのが常識とされていたが、農薬や化学肥料のなかった時代に遡り、冬の間も田んぼに水を張って微生物による土壌保全を行なうという先人の知恵を復興させようという試みだ。しかし通年田んぼに詰めて水の管理をする事は想像以上に手間の掛かる作業で、苦労の連続だったという。三浦さんの働きかけで賛同する米づくり農家は増え続け、いまでは17件の農家が40ヘクタールの田んぼを「ふゆみずたんぼ」として管理している。

三浦孝一さんのやさしさが“ふゆみずたんぼ”を生んだ

三浦さんが「ふゆみずたんぼ」を始めて2年後の1985年、ウガンダで開催された第9回ラムサール条約締約国会議で「蕪栗(かぶくり)沼及び周辺水田」が登録湿地に認定された。沼だけでなく「水田」明記されたのは、周辺の米づくり農家の取り組みによるものとして高い評価を得ている。渡り鳥のために始めた「ふゆみずたんぼ」だが、うれしい事にこの田んぼで穫れた米は、無農薬・有機栽培米として注目され、高値で取引されているという。冬のねぐらを用意してくれた三浦さんの愛情に対する渡り鳥の恩返しなのかもしれない。

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