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2001@サハラ

 

その他
2001.02.16 「 奇跡の2日間(2)」


サハラ航海2日目。今日を乗り切れば航海は終わる。

朝は全員ゆっくりと起きた。それは別に昨日の疲れが出たわけではなく、ある事情があった。今日のルートは、前半150kmが昨日と同じ土漠を越えるが、後半150kmは海岸線を走る。潮には干満があり、引き潮のときのみ通れるルートなのだ。今日の干潮時間は午後3時。それまでに前半を乗り切れば問題ないわけだ。

昨夜からのキャンプ仲間であったラクダの群れが、まず北へ向って動き始めた。そして一緒にキャンプファイヤーを楽しんだ人たちも、ヌアクショットへ向けて出発した。我々がスタートしたのは、午前9時くらい。また最後尾でのスタートとなった。今日も道なき道を進む。何十もの轍が縦横無尽に走る土漠を、ガイドの指示どおりに走る。このような環境に慣れ、サポートカーに乗る松前隊員から「よし、プリウスと並走して。」と声がかかる。ランドクルーザーのドライバー、三角隊員が、その声にあわせプリウスと並んでサポートカーを走らせる。しばらく順調に撮影していたが、目の前に小高い丘が現れ、プリウスはさらに速度を上げ、砂でできた丘にアタックをかける。

プリウスの車内は、まさにゴールデントリオが誕生していた。ドライバーの横田隊長、ガイド、そして後部座席に乗る谷隊員。もう言葉など必要ではなかった。ガイドが思ったことが、ドライバーの横田隊長に伝わる。以心伝心である。

丘を登りきると、500m先に1台のクルマが止まっているのが見えた。当然、昨日ともにキャンプをした仲間のクルマだ。近づいてみると、やはり砂に埋まっていた。このルノーのワンボックスに乗る彼らは、地元フランスでいらなくなった衣服やぬいぐるみなどを、クルマ一杯に詰め込み、アフリカの子供達にくばるためだけに、このルートを走っている。今回で30往復を超すという。そんなベテランの彼らも、砂に埋まる。エコミッションスタッフ全員で、押してスタックから脱出させたが、彼らはこれまで何回スタックしたのだろう。それでも、アフリカの子供たちのために頑張っている。ものすごいことだと思う。また彼らは、アフリカから民芸品などを積み込み、フランスに帰るのだという。

こうやってさらにもう1台スタックしているクルマを脱出させたりしながら、結局また1番手で中間地点までたどり着いた。ちょうど正午だった。本当にプリウスは速くて逞しい。

中間地点となる村で、食料とコーラを仕入れ、これを昼ご飯にした。残すところ、あと150kmあまり。午後3時のスタートまで、スタッフは思い思いに時間をつぶす。撮影をするもの、居眠りをするもの、さまざまだが、谷隊員はとことこと海岸まで歩き、着ているものを脱いだ。「ちょっと泳いできます。」といって、海に入っていった。ヨーロッパでは緊張していたのか、おとなしい谷隊員だが、アフリカ大陸に上陸してからは、日に日に元気になり、大西洋を泳ぐ。本当に水が合うとは、このことなのだろう。

ついに午後3時を過ぎ、2台は海岸線を走り始めた。海岸線の幅は、およそ6m。幅があるように思う人もいるかもしれないが、実際走れる幅は狭い。海側は、絶えず波が押し寄せ、それを避けて岸に寄れば、今度はフカフカの砂地獄。砂がある程度水を吸って、硬くなった一瞬を走らなければならない。またうかつに止まってしまうと、再発進することが難しいので、止まることも許されない。こんなタイトロープを3時間近く渡らなければならない。横田隊長の手にうっすらと汗が滲む。

順応するという能力の高さは、エコミッションスタッフならではかもしれない。20分も走ると、かなり余裕が出て、また撮影を開始する。海岸線を走るプリウス。決して日本では考えられない光景を、ずっと撮り続けていた。

中盤まで走ったところで、少し休憩をした。当初予定していた速度より速く走っていたものの、こうやって砂浜に立ってみると、確実に潮が満ちてくるのがわかる。6mあった砂浜は5mに狭まり、打ち寄せる波が、時折砂浜の半分を覆うくらいになってきた。さらに速く走らなければ、砂浜が海に飲み込まれてしまう。

潮が満ちてくるにつれ、プリウスは巡航速度を一定に保てなくなる。波が来ると速度を緩め、引いたときに一気に加速する。ちょうどテレビの筋肉番付や東京フレンドパーク2のゲームのようだ。横田隊長は、この自然の波のリズムに合わせ、速度の強弱をつけ、リズミカルにプリウスを走らせる。さしずめ「Dance with Waves」といったところだろうか。

ゴールとなるヌアクショットまで、あと50kmくらいに迫ったところで難所があった。岩と砂が混じった路面で、走れる幅が3mもない難所だ。ここでプリウスは一度停止し、波をよく見て一気に走る。多少水しぶきがかかったが、スタックすることなく、走り抜けた。

一方、ランドクルーザーのほうは、ある程度ラフに走ってもまったく問題ない。ちょっとした問題は、海側後部座席に座り、窓から身を乗り出して撮影している松前隊員に、ときおり水しぶきがかかることぐらいだ。ドライバーの三角隊員は、このことにあまり気づいていない。カメラマンとは、実は非常に地味でたいへんな仕事なのだ。

こうしてヌアクショットまでなんとか近づいたが、最後の難所として海岸から一般道へ出る道がある。ここはすべてフカフカの砂で、よほど加速をつけていくか、いいルートを探すしかない。最初にガイドが示したルートは、なだらかな登りが続く柔らかい砂地だった。スタッフ全員、どうみても2輪駆動車では登れないと思っていた。

事実ランドクルーザーで登っても、やっとのレベルだった。当然プリウスで、この丘を越えることはできず、そこからスタッフ全員に緊張が走る。日もだいぶ傾き、潮が満ちてきている。しかし一般道に脱出するルートが見つからない。ここから出口を探す旅が始まった。ガイドが「もう一ヶ所あるから、そこへ行こう。」といい、慌てて移動する。さらに日は傾き、あたりは暗くなってくる。このままではせっかくのサハラ縦断成功の瞬間を、デジカメで撮れなくなってしまう。

そして最後の出口に到着した。やはり緩やかな登りで、フカフカの砂が大きく口を開けて待っていた。「よし、いけるところまで飛び込むぞ。」と横田隊長がいい、来た道を戻った。十分な助走をつけ、一気に砂へ飛び込む。予想以上に丘を登り、ひょっとしたら越えるのでは、と期待したが、そうはいかなかった。ちょうど丘の頂上付近でスタックした。しかしもう達成したも同然の場所だった。このとき撮影されたのが、達成を喜んでいるシーン。実は埋まっていたのであった。

撮影終了後、ランドクルーザーで牽引した。初めてのことだった。日本にいるときは、スタック脱出道具として、この牽引ロープのほかに、スコップ、エアジャッキ、サンドラダーなどを準備した。しかし実際使用したのは、スコップと1回限りの牽引ロープ。1枚660フランもしたサンドラダーは、一度もランドクルーザーから出されることなく、エアジャッキに至っては、どこに積んであるのか忘れるくらいであった。

アスファルトの道にあがって、ヌアクショットの市内へ向う。この街は寺田、茅原田隊員にとっては庭のようなところなので、若者チームがホテルまでプリウスを先導する。その勢いで、

「この街でパスタが食べられるところがありますから、行きましょう。」
と茅原田隊員がいい、

「彼らの庭だから、今日は彼らに任せよう。」
と横田隊長がいってくれた。しかし、そのパスタ屋は休み。あまり知ったかぶりすると、なぜかこうなるものだ。そして近くの見たことのないお店に入ると「ハンバーガーしかないですよ。」と店員に言われ、松前隊員が無口になると、

「いいじゃないか。あいつらに任せたんだから。」と横田隊長がいってくれた。そしてビールで乾杯し、トレイに乗ったハンバーガーが各自に運ばれてきた。

「北米のエコミッションのときは、よく食べたよな。」

なんか遠い昔の花火ような第1回エコミッションが、懐かしく思い出された。

―――――

長らくおつきあいいただき、本当にありがとうございました。

連日つたない文章にてレポートさせていただきましたが、本当にみなさまに見ていただいていたおかげで、ここまで続けることができました。

アフリカ版web開設当初、「とにかく自分の思うようにやってみろ。」と横田隊長に言われ、新しいことを何点か取り入れてやってみました。いかがだったでしょうか?

このwebsiteは、まず横田隊長の総指揮のもと、デザインをイメージミッションの小倉氏、webの更新、管理を大学時代の同級生の新宮君に担当していただき、現地からの画像、レポートを寺田が担当させていただきました。またこの裏話企画は、渡辺会長のアイデアによるものです。

このように多くの方々によってこのsiteが成り立っていました。今後は、リバーレイドのイベント情報など日々ニュースがあると思いますので、ぜひ定期的に遊びにきてください。

本当にありがとうございました。

16/Feb/2001
寺田 昌弘
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