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スタッフ日記 |
その他 2001.01.14 「スタッフ日記」 |
松前次三曰く、 「久しぶりに砂漠を縦断して思うことは、パリダカ時代の砂漠と現代の砂漠は変わっていないということです。街も変わり、私たちも年をとったのに、砂漠はやはりクルマの走行が難しい。途中ずいぶんクルマのスタックを見たが、わがプリウスはほとんどスタックせずヌアクショットについた。ヌアディブより2日間で、ハイブリッドカーがサハラを越えた。当初はこの程度では済まされないと思っていたが、ヨーロッパに続き、プリウスを見直した。/シンゲッティーにて」 谷和日子曰く、 「ECO-MISSION2001@SAHARAは、21世紀の初日、1月1日にパリをスタートした。イベリア半島を南下し、ジブラルタル海峡を渡り、アフリカに上陸し、各地で環境保全にたずさわる人、モノ、コトを訪れ交流した。西サハラからモーリタニアにかけてのサハラ砂漠をかつて、北極星と太陽を道しるべに渡ったキャラバンを今、21世紀のエコロジーカー”プリウス”でトライした。11日にモーリタニアの陸の孤島ヌアディブを出発し、途中一泊を砂漠でビバークし、2回のスタックのみで13日、午後6時32分にハイブリッドカーで初めて450kmのサハラ縦断に成功した。今日、1月14日にサハラ砂漠の真っ只中に埋もれているイスラム教第7の聖地シンゲッティーを訪れた。ここは昨年末、98歳で亡くなった博物学者であり、地質学者というより砂漠の学者として有名なフランス人 テォドール・モノさんが20歳のときにモーリタニアに派遣され、砂漠と出会った場所だった。地球にやさしいプリウスと、自然を愛したテォドール・モノさんを重ね合わせて想った。」 茅原田哲郎曰く、 「パリをスタートしてから、サハラ砂漠イスラムの聖地シンゲッティーまで、ランドクルーザーのトリップメーターは、6814kmまできました。パリの気温は、10℃以下だったのが、サハラの日中の気温は、冬でも30℃を越え、AIGLEのフリースつきジャケットから今はTシャツ一枚になってしまった。Gパンはポケットに穴があき、カレーや油のシミがつき、ハエが体に何匹集っているのか、気にならなくなってきた。フランス、スペインを南下して、ジブラルタル海峡を渡るフェリーのゲートは、アフリカの扉そのものだった。そのフェリーのなかは、もうアフリカなんだと、感じたと思ったら、あっという間のサハラ越えでした。サポートするランドクルーザーから見るサハラを走るプリウスは、とても勇ましくドライブする横田隊長は、本当にみんなに見せてあげたかった。”カッコイイ!!”の一言である。あとはダカールにゴールするまで、安全に環境の旅を続けるだけだ。帰国してから写真をセレクトするのが楽しみである。」 三角武史曰く、 「真っ暗なパリを1月1日にスタートし、まだ初めてのエコミッションは、パリの風景と同じ右も左もわからなく、真っ暗な中始まった気がしました。初めての大陸移動での国境越え、フランス、スペイン、大陸を走りきり、ジブラルタル海峡をフェリーでモロッコ、アフリカ大陸入国。文化の違いがあからさまに衣服、言語、習慣、自然環境への考え方の違いもだんだんに変わり、それと同時に自分自身も多少明かりが見えてきたような気がします。隊長を含め、みんなが一体となり、各パートを確実にこなし、ひとつのものを6人で作り上げる重大さ、責任感、無事乾完走したときの喜びを実感するときのために1分1秒も気の抜けない旅だと思います。ドライバー、メカニックとして、クルマのことを考えると、砂漠の中、ここでクルマが止まったら、みんなの命はどうなるのだろう?ハンドルを握っているときに、もしものことを考えると、みんなの家族、関わっている人たちの運命すら変えてしまうという気持ちを忘れず、ひとつひとつ確実に、ときを噛み締めていきたいと思います。」 寺田昌弘曰く、 「モロッコのシェッビ砂漠にいた人がいった。このクルマでサハラを越えるなら、ラクダのほうがいいぞ。でもこのクルマ、ラクダと同じで静かだね、と。それから1週間も経たないうちに、プリウスはサハラを縦断した。寡黙で頼れるモノ、こういうものが21世紀のスタンダードになると思う。自分もそうならなければと、クルマと砂漠の人々に教えられた。」 |
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