わたしたちの忘れかけた怪異な言い伝えを、柳田邦男が簡潔な美しい文章で綴った「遠野物語」が刊行されて100年、神々の由来、天狗や河童、ザシキワラシ、魂の行方、神隠しなど民話誕生の舞台となり、COP10でもキーワードとなった里山の暮らしぶりが色濃く残る遠野市を訪れた。
GAZOO.comが提案する「マチで暮らす人々にムラでしか味わえない感動体験をナビゲートしよう」という「Gazoo Mura」でも関心の高い「遠野ふるさと村」は、馬と人がひとつの住居で暮らす「南部曲り家」を保存し、ムラの暮らしを体験できる場所だ。手入れの行き届いた日本の原風景とも言うべきのどかな里は、一歩足を踏み入れた瞬間から、江戸時代の農村へタイムスリップさせてくれる。
谷沿いの道を進むと、通りに面した壁に「社寺工舎」と控え目な看板が掲げられた工房が現れる。広大な敷地には、さまざまな形に加工された木材が大量に積み上げられているが、一般住居用と比べ数倍の大きさを持つ美しい木材ばかりだ。敷地の真ん中へプリウスPHVを停車しドアを開けると、刺すような冷気とともに、ヒノキの気高い香りが身体中に行き渡るようだ。この厳かな場所で宮大工の職人を束ねる代表の菊池恭二さんに、工房を案内していただいた。
平面図から実物大でベニヤ板に描き映す「現寸」という作業を拝見した。これを元に部材が切り出されるという大事な行程で、10年以上現場を経験した中から、棟梁として選ばれた者のみが「現寸」に携われるという。特に日本建築の命とも言われる美しい屋根の曲線は棟梁の腕の見せ所で、複雑な構造を立体的に思考する能力が備わっていなければ、最適な「現寸」を描く事はできないという。若干33歳ながら既に15年の経験を持つ職人さんが描く線はため息が出る程美しく、確実に匠の技が次の世代へ伝承されていると感じた。
菊池さんは言う。「それぞれの木が持つ癖を見切り、適材適所に使う事で伝統建築が成り立ちます。人も同じで、大柱など構造物が得意な者もいれば、彫り物や天井の仕上げなど細かな仕事が得意な者もいる。向き不向きを見極めて使って行く事が棟梁には求められるんです。技術を継承するというのは、師匠の丹精込めた仕事ぶりを弟子が盗みとる事。文字や言葉、映像記録では伝わらない匠の技は、師匠と弟子の双方が精一杯努力してはじめて継承されて行くものです。」
工房を後にし、菊池さんが34歳の時に棟梁として建立した「福泉寺五重塔」を見に行った。西の空へ傾きかけた陽の光を受けてシルエットを際立たせた姿は、自信に満ちた菊池さんの表情に似ている気がする。全国各地の神社仏閣の建築を手掛ける「社寺工舎」の作品の数々も、柔らかくも力強く美しい表情を持っているに違いない。華やかな紅葉の時期を終え、冬の到来を待つ遠野の空に、チラチラと淡雪が舞ってきた。