10月 3日 2012

遠野かっぱ工事隊の勇姿

遠野かっぱ工事隊の勇姿

バイパス沿いの道の駅「遠野 風の丘」に立ち寄ると、建設作業者の一団がこちらを見据え、強烈なメッセージを伝えるポスターが貼りだされていた。「遠野の、意地がある。さあ復興の道をつなごうか。」

一瞬にして心を奪われた僕らは彼らに会って話を聞きたいと思い、GazooMura遠野の代表でもある「遠野山・里・暮らしネットワーク」浅沼さんにお願いして、その機会を得る事ができた。

遠野かっぱロードのポスター(複写)

遠野かっぱロードのポスター(複写)

遠野の建設業者は、東日本大震災の発生翌日から誰が言い出すともなく三陸沿岸に出向き、道路の啓開作業や行方不明者の捜索に精力的に携わった。絶望的な光景の中、誰一人弱音を吐く事なく黙々と作業を行う彼らの姿を見た遠野土木センターは、彼らが復興の原動力となる勇気と誇りを持ち続けるために、どうにかして光を当てる方法がないかと考え「遠野かっぱ工事隊」を結成したという。

彼らの頑張りが道を作った

彼らの頑張りが道を作った

“小国村又角の奥太郎という男が、遠野町へ行った帰りに、立丸峠まで来るとちょうど日が暮れた。道は木立の中であるから一層暗くて、歩けない程になったその時、向うから何者かやって来てどんと体に突き当った。最初は不意を食って倒れたが、起き上がって二、三歩行くと、またどっと来て突き当たったから、今度はそいつをしっかりと抱き締めたまま、小一里離れた新田と
いう村屋まで行って、知り合いの家を起して、燈火のあかりで見ると、大きな狼であったから打ち殺したという。(柳田国男 遠野物語より)”

遠野物語の一節にある「立丸峠」は、狼が棲む山深い場所だったが、現在も川井村を経由して沿岸部の宮古市へ抜ける重要なルートにも関わらず、険しく蛇行するカーブが連続する難所だという。東日本大震災で甚大な被害を受けた三陸沿岸部復興の要となる“道”の整備に「遠野かっぱ隊」が名乗りを上げた。“あの日”に見た光景を一刻も早く復興させるために、一丸となって急ピッチで作業を進め、今年7月22日「遠野かっぱロード」と命名された国道340号土淵バイパスの一部区間の開通にこぎ着けたのだ。長いトンネルを含む残り区間の工事も困難を極めると予想されるが、国からの予算確保の目処が立ち、本格的な着工が決まったという。多くを語らず、黙々と働く彼ら「遠野かっぱ隊」の挑戦は続く。

復興の道「遠野かっぱロード」

遠野に滞在中、多くの場面でサポートしていただいたGazooMura遠野代表「遠野山・里・暮らしネットワーク」浅沼さんに、この場を借りてお礼いたします。ありがとうございました。



カテゴリー: エコミッション2012,岩手県

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