なだらかな丘陵地帯を走る時、プリウスPHVはエンジンとEV走行を交互に繰り返す。慣れてくると微妙なアクセルワークでガソリン消費を抑えたり、充電量を増やしたり出来るようになる。長めの下りでスピードを落とさず、いかに多くの発電ができるかが鍵となるが、こんな楽しみを味わえるのもバッテリー容量が増えたプラグイン・ハイブリットならでは。そんな海岸沿いの丘を越えるたびに、だんだんと海が近づいてくる。遠くにぽつぽつと見える島影と輝く海が美しい斑模様を織りなし、まるで錦絵の中をドライブしているようだ。ふっと脳裏に「松島や」と芭蕉が詠んだ句がわき上がってきた。東松島に近づくとさらに複雑な入り江が交錯して、岬なのか島かの区別すら付かない。
やがて海が目前に迫ると道は平坦になり、目的地の宮戸島が見えて来た。沖合に無数の島々が点在する松島は津波被害を免れたが、外洋に面したこの一帯は被害が深刻だった場所で、今も堆く積み上げられた瓦礫の山を目にする。震災当時には連絡橋が崩落して孤立した宮戸島だが、2週間後ようやく「門橋」と呼ばれる大型いかだを浮かべて行き来できるようになったという。現在は仮設とはいえしっかりとした橋が架けられ、徐々に観光客も戻りつつある。
GazooMura東松島での宿泊先は宮戸島の先端、月浜を望む高台にある体験民宿「かみの家」さん。震災前には7軒の民宿がガズームラに登録していたが、津波の被害に見舞われ、現在「かみの家」さんだけが営業を続けている。ご主人の小野さんに話しを伺った。
「ここ月浜も津波にのまれ、38棟の家や民宿が流されました。私の自宅もです。しかし昔から地震があったら津波が来ると、そういう意識がみんなの頭にありましたから、すぐに高台に避難して一人の犠牲者も出さずにすみました。通りの向こうにある仮設にみんな元気に暮らしていますよ。新しい民宿の建設も進んでいますから、これから段々とやっていきますよ。」
翌朝、ご主人に「ぜひ登って見てください、いい眺めですよ」と勧められた大高森へ登ってみることにした。教わった場所へ着くと、登山口には森へと続く急階段、これはちょっと手強いかもしれない。途中、森に囲まれたなだらかな山道があったものの、7合目付近からかなり急な坂が続き、上着を脱いでひたすら登る、登る。ようやく息を切らして登った先には見事な奥松島の絶景が広がっていた。
晴天に恵まれた今朝は、島が点在する松島の素晴らしい海、太平洋の大海原を行く大型船、石巻の市街地、遠く蔵王連峰まで望める。宮戸島へ渡る時に通った瓦礫の辺りを見ると、津波が襲った低地がはっきりとわかる。よく見ると海水に浸かった樹々が枯れて変色した箇所が方々に見て取れた。こうして高い場所から見ると震災被害の深刻さをあらためて感じる。一日も早く復興が進み、この美しい東松島に観光客の賑わいが戻るよう祈りながら大高森を下山した。
GazooMura東松島ではさまざまな体験メニューが用意されており、地引き網や、漁船に乗って牡蠣やホタテの収穫など、普通の旅では知り得ない感動を味わう事ができる。宮戸島では日本最大級の縄文遺跡が発掘されたことから、縄文土器制作、古代織り、火起こしなど古代人体験も人気だ。今回は奥松島縄文村歴史資料館を訪れ、古代人のモノ作り技術の高さを実感できる「勾玉(まがたま)作り」に挑戦した。発掘された勾玉はヒスイなど固い石で作られたものが多いが、ここでは2時間程で完成する“滑石”という柔らかい石を使用する。下絵を描いた滑石を粗面の石板に擦りつけて少しずつ形を整えて行くのだが、これがなかなか根気の要る作業。みんな真剣な表情で材料と向き合い、思わず無口になって体験ルームは“ゴリゴリ”という音だけが響く。ようやく荒削りが済んだら水に着けながら仕上げ磨きを進めると、キラキラとした光沢が出て来る。さらに丁寧に磨いて紐を通せば自分だけの勾玉ストラップが完成する。古代人はもっと固い石を数日かけて磨き、あの均整の取れた美しい勾玉を残したのだから、技術の高さと根気には驚かされる。現代人の作ったのもは少しイビツな仕上がりだが、この勾玉を見るたびに“縄文へのいざない”と共に東松島の思い出が蘇ってくるだろう。
GazooMura東松島「かみの家」さん、お世話になりました。一日もはやく美しい月浜が戻ってくるようお祈りしています。
3.11で被害を受けたどの場所でも感じる事ですが、地元の方々がとても親切に話しかけてくれます。
東松島でお会いした全ての方々に感謝です。ありがとうございました!
カテゴリー: エコミッション2012,宮城県
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