「仙台に滞在してるのなら女川町の先“雄勝”に会って欲しい人たちがいる。」茅原田カメラマンの申し出で、旧北上川の河口にほど近い三陸・雄勝町を訪れた。湖と見紛うばかりの静かな水面が、秋の柔らかな日差しを反射してキラキラと輝いている。色とりどりのブイが整列する遙か向こうから、1隻の小さな漁船がこちらへ近づいて、籠に入れられた牡蠣の水揚げが始まった。ここ雄勝町は、牡蠣やホタテ、ほやなどの養殖漁業が盛んに行われている小さな港町だ。
エコミッションの随所で撮影を担当しているカメラマンの茅原田メンバーは仙台市在住。東日本大震災直後から現地入りし、ボランティアとして瓦礫撤去や炊き出しなどの活動に汗しながら、懸命に生き抜く人々の姿を撮影してきた。そうした活動の中で知り合った、この港町出身者に「震災後初めて採れたホタテを世話になった人たちに食べてもらうバーベキューやるんですが、一緒に雄勝へ行ってみませんか。」と誘われた。その席で“漁師の会社”OHガッツ!代表の伊藤宏光さんに初めて会ったという。
雄勝港を見下ろす高台にある「OH!ガッツ」に到着すると代表の伊藤さんが出迎えてくれた。眼光鋭く“野武士”のような風貌の彼の自宅は津波で流されていまい、招かれたのは震災後に購入したという古民家。そこで話を伺う事にした。口数少ない伊藤さんがゆっくりと話しだした。
「震災後に雄勝の人口は3割近くまで減少して、漁業は消滅の一歩手前まで追い込まれてました。これを何とか打開しようと若い漁師8人が中心となって、これまでにない新しい形の養殖オーナー制度『そだての住人』を募集しました。ここ雄勝の海の幸を提供しながら、支援してくれた全国の皆さんと心の交流を計るために設立されたのがOHガッツ!です。今日はこれからホタテをトラックに積んで、横浜経由で琵琶湖で振る舞う予定です。1泊4日の強行軍ですけど、世話になった人たちのため、雄勝のためには当たり前の事です。私はお付き合いできませんが、牡蠣の水揚げ体験ができますから港へ行ってください。」
港へ行くと伊藤さんの甥っ子の三浦優樹さんが、波止場に係留された漁船でひとり作業をしていた。長靴、ウエーダー、ゴム手袋の三点セットをお借りして、早速船上へ飛び移り“牡蠣のゴミ取り”体験のスタート。水揚げされたばかりの牡蠣の殻はあの見慣れた風貌とは程遠く、海藻やイ貝、フジツボなどがびっしりと張り付いている。栄養豊富な水域で育つのだから当たり前の事だが、これを出荷できるキレイな状態にする。専用の刃物でひとつひとつ丁寧にこそぎ落とすのだが、これが一苦労。刃物の扱い方を誤ると、大切な牡蠣殻も傷つけてしまい売り物にならなくなるのだ。
一時間半の作業で処理できた牡蠣殻はせいぜい200個。この作業ひとつとっても本当に手間と根気の要る作業の末に、あの旨い牡蠣が出荷されるのを垣間見る事ができた。。これからが寒くなるにつれて旨みを増す牡蠣、漁師さんに感謝しながら、真剣に食べようと心に誓う体験だった。
OHガッツ!の皆さん、ありがとうございました。
伊藤さんたちが丹精込めた雄勝の海の幸。
お問い合わせは「OH!ガッツ」サイトへ
頑張れシーパール号!!
2010年エコミッションで東日本大震災前に訪れた女川町「シーパル号」のその後を知りたくて、最近通行できるようになった雄勝町から女川町を結ぶブルーライン(R398)を南下、震災で壊滅的な被害を受けた女川町を再訪した。このルートは、一年半を経過した今もあちこちで崩落箇所の修復工事をしており、全面復旧には相当の時間が要るだろう。女川町の標識が現れ、海を見下ろす坂を下る所で、あの懐かしい「シーパル号」を路端に見つけた。半ば諦めていた再会だっただけに、嬉しくてうれしくて運転手さんに「その後」を聞きながら写真を撮らせていただいた。復興の道を歩みだした今こそ「シーパル号」のような小回りの効く公共交通機関の重要性が増すと思う。
“頑張れシーパール号!!”。
漁師の会社「OH!ガッツ」
カテゴリー: エコミッション2012,宮城県
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