遙か北方に聳える「飯豊連峰」の豊富な伏流水と、会津盆地の良質な米を原料とした、酒、味噌、醤油など醸造業が盛んな喜多方には、古くから醸造に欠かせない蔵が数多く建てられて来た。昔から「四十代になっても蔵を建てられないのは男の恥」とまで言われ、喜多方の男たちにとって蔵はプライドを掛けた夢の結晶でもある。市街地ばかりでなく、田園地帯や山間部にまで、実に4,000棟を超える蔵があり、現在でも生活の一部として使われ続けている。
蔵の再生や利活用を進めている「喜多方まちづくりセンター」の星宏一さんも、蔵に情熱を傾ける生粋の喜多方っ子だ。自身も蔵をリフォームしたワインセラーを所有し、蔵にまつわる知識も豊富な星さんに、喜多方市街の「おたづき蔵通り」周辺を案内していただいた。
数軒の古い店蔵が建ち並ぶ一画にプリウスPHVを停めて充電させてもらう間、辺りを散策する事にする。最初に訪れたのは、江戸時代から続く造り酒屋「小原酒造」さん。手入れの行き届いた重厚な店構えに思わず見とれていると「中も見てってください」と女将さん。招かれるまま店内へ入ると、店舗と酒蔵を仕切る扉は「黒漆喰磨き仕上げ」という漆喰に墨を混ぜて丁寧に磨き込む手法で作らており、その黒光りした分厚い扉に圧倒される。(小原酒造さんでは申し込みをすると解説付きでクラシック音楽が流れる酒蔵を見学できる)
「まだまだ、こんなもんじゃないですよ、喜多方の蔵は。」星さんがそう言って自信ありげに微笑みながら連れて行かれたのは、おたづき蔵通りから一本入った小路。周りには大小さまざまな蔵、蔵、蔵。表からは想像もできなかった喜多方の真髄がそこにあった。そこにある蔵の全てが観光のためではなく、現役で使われ続けているのが何よりも素晴らしい。
倉庫としてだけでなく、店蔵、蔵座敷、酒蔵、味噌蔵、醤油蔵、塀蔵など、蔵の種類の多さも喜多方の特徴のひとつだ。昔ながらの使い方をされている蔵だけでなく、古い蔵をリフォームして再活用した店舗も多いなかで、見せていただいたのは永く“お蔵入り”していた江戸末期の蔵を改装したばかりのアロマテラピーのお店。店内は包み込まれるような雰囲気に心が静まり、蔵にぴったりの用途に納得する。2階へ案内されると、幅が50センチはありそうな“へ”の字型をした梁の「大船底天井造り」が見事で、テーブル代わりに並べられた大きな桐箱の上には、百年間以上も開けられる事なくここに眠っていた“お宝”の数々が並んでいた。
中庭のような一画で蔵の補修をする左官職人さんを見かけた。聞けば、東日本大震災で崩れた外壁の煉瓦袴を積み直しているという。星さんがこの煉瓦を焼いている場所を案内してくれるというので、蔵を見て回るうちに充電を終えたプリウスPHVで、郊外の工房へ向かった。
田んぼに囲まれてぽつんと建つ煉瓦造りの工房内には、見たこともないほど巨大な「登り窯」が鎮座していた。ここで焼かれる煉瓦は蔵の一部に使われる他、贅を尽くした総煉瓦造りの“煉瓦蔵”に使用される。燃料には薪を使い、窯が歪むほどの高温で焼き上げられた煉瓦はずっしりと重く、互いにぶつけると“キンキン”と金属のような髙い音がする。灰かぶりの自然釉が景色を産み、ひとつひとつが個性を持つ煉瓦は本当に美しい。
明治十三年、町の中心部から上がった火の手が瞬く間に広がり、多くの家々を焼き尽くす大火に見舞われた喜多方。焼け野原に厳然と残った蔵の姿に喜多方の人々は誇りと勇気をもらい、以前にも増して蔵を愛するようになったという。喜多方を訪れる事があったら、是非とも表通りから一本入った路地裏を覗いて欲しい。そこにはガラスケース越しに眺めるだけの歴史的建造物ではなく、使い続ける事で一層の輝きを放つ蔵の真髄を見ることができるだろう。暮らしにしっかりと息づく喜多方の蔵は、そこに住む多くの“人の手”によって受け継がれているのだ。
明日はメンバー交代でエコミッションに初参加した
ACP最年少スタッフのレポートです。お楽しみに。
カテゴリー: エコミッション2012,福島県
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