船旅

名門大洋フェリー【ふくおか2】

エコミッション2010@ジャパンスタートの地、九州へはフェリーで向かった。
静岡県浜松市のガレージで最終チェックを済ませたプリウスPHVは、大阪南港フェリーターミナルで名門大洋フェリーの「ふくおか2」へ乗船。北九州新門司港へ向けて瀬戸内海を行く12時間余の船旅だ。

僅かな残陽が照らし出す穏やかな海面をスルスルと滑るように進む。両岸にちりばめられた町の灯が放射状に波立つ水面に映り込んで幻想的な世界が広がっていた。やがて、ブルーに輝くネックレスでめかしこんだ明石海峡大橋をくぐる頃になると、乗客の多くがデッキへと繰り出し夏祭りのような賑わいだ。右には明石の豪華な夜景、左には淡路島のやさしい灯りがゆっくりと後方へ流れて行く。フェリーでのひとときは、旅愁という言葉がしっくりくる。

フェリーを利用した事のある方はご存知だろうが、いくつか気をつけたい事がある。いったん船底に車を預けると到着するまで再会できないので、渡航中に必要な荷物を持ち出しておく。船舶は省スペース設計。通路が入り混んでいる上、特徴のないドアがずらりと並んでいるので、自分の船室をキチンと覚えておく。携帯電話は岸から離れると繋がらない。インターネットも同様。凪ぎでも大型船とすれ違う時には、三角波に当たり突然揺れる事があるなど、船旅ならではの“しきたり”は戸惑いはあるが、非日常という楽しさを増幅させてくれるものでもある。

帰路は別府港から「さんふらわあ あいぼり」に乗船。
船形がどっしりしているせいか往路に乗った「ふくおか2」よりひと回り大きく見えるのだがスペックを見るとまるで逆だった。船底への搭乗口の位置も印象を違えた要因かも知れない。

往路:「ふくおか2」      総トン数=9,800トン、全長=167m/搭乗口:船首
復路:「さんふらわあ あいぼり」総トン数=9,300トン、全長=153m/搭乗口:船腹

白い船体に燈色で鮮やかに描かれた太陽のマーキングが、鶴見岳に沈み行く夕陽に呼応しているようだ。船腹にぽっかりと空いた搭乗口に大型トレーラーが次々に吸い込まれて行く。やがてプリウスPHVも前後の車列とともに乗船すると、機械然とした無機質な船底に停車し九州での役目を終えた。分厚い乗船板を支えるワーヤーが巻き取られ、“ボーッ”という汽笛を合図にゆっくりと離岸、一切の振動を感じる事なく豊後水道へ向かって進むと、ぐんぐん視界が広がり、日本一の湯量を誇る別府温泉の無数に立ち上る源泉の湯気柱、自然林の深緑が美しい高崎山のシルエットなど別府湾の大パノラマが一望に。ついにはその景色も闇にかすんで見えなくなり、気がつけば1時間以上もデッキで景色を楽しんでいた。このゆっくりとした時間の流れこそ船旅の魅力なのかも知れない。たくさんの出会いに感謝しながらエコミッション2010@ジャパン九州ステージが幕を下ろした。

“電気くださ〜い!”九州編

九州を巡る旅で、沢山の方々にプリウスPHVの充電に協力していただいた。
次世代に触れる喜びなのだろうか、プラグを“カチッ”と差し込む時、みんな笑顔になる。
九州のみなさん、ご協力ありがとうございました!

カローラ博多 城野店

【ピックアップ、電気くださ〜い!】

猿の楽園を結ぶ道

高崎山はニホンザルの楽園だ

別府湾に突き出すように構える急斜面が高崎山だ。標高628mの巨大なおむすびは、対岸の大分空港からでもはっきりと認識できる。古くからニホンザルの棲息地として知られ、かつては農作物を荒らす「にっくき猿」として度々衝突を繰り返して来たが、高崎山自然動物園が餌付けや柵の設置、周辺パトロールなど地道な防衛・保護活動を続けたおかげで、今では観光の目玉として大きな役割を果たしている。

ニホンザルの群れは由布岳、鶴見岳等が連なる火山群の南東端にあたる高崎山を基点に一帯を移動しながら生息していたが、1989年に運用が始まった大分自動車道が群れの行き来を分断してしまった。そこで、すこしでも容易に移動できるようにと、「猿の高速道路横断橋」が設置されたのである。

2001年のエコミッション・ジャパンで訪れ、群れの行き来を期待しているという話を伺っていたが、“あれから10年、橋はどうなっているだろう?”という思いでここを再訪したのだ。

財団法人大分市高崎山管理公社スタッフの江川さんにお話を伺う事ができた。「猿たちがあの橋を利用したという報告は今までに僅かに1件だけです。何本か掛かっている別の車用橋では多くの群れを確認していますが。」自然が相手の事、なかなか人間の思惑通りには行かないようだ。

群れの編成も10年前とは大きく変わり、α雄(アルファオス:ボスザルという呼び名は現在は使わない)の「ゾロ」は在任期間が11年7カ月と歴代1位。高崎山にいる群れのうち、最も大きいC群のリーダーで696匹を率いている。10年前に訪れた時には最大だったA群はC群の台頭と共に自然消滅してしまったという。何とも寂しい話だが、願わくば「猿の高速道路横断橋」を渡って内陸部へ逃れたと信じたい。