西明石を予定の時間より早めにスタートし、寄り道をして海を見に行く事にした。ナビに従ってクルマを走らせると、どんどん道が狭くなる。やっと通り抜けられる路地を曲がると林崎漁港に出た。どうやら旅人の訪れるような場所ではないようだ。力強く、いかにも“働く船”といった風貌の漁船がずらりと係留されている。聞けばタコ、鱧、鯛といった明石名物を底引き網で穫る船だという。早朝の穏やかに輝く港で「たこ壷」や「海苔網」などを眺めていると、朝から得をした良い気分になった。そろそろ約束の時間、明石市長を表敬訪問するため市役所に向かった。
大蔵海岸から対岸の淡路島を望む市庁舎の一室へ通されると、北口寛人市長が笑顔で迎えてくれた。15分程の短い会談だったが、明石と淡路島を結び長年生活と密着してきた“タコフェリー”が存亡の危機にある事、海岸の浄化・再生活動の結果、人工海浜に海ガメが産卵にくるようになった事など、海辺の町ならではの環境への取り組みを、ユニークな発想と若い力で実践されている一端を垣間みる事ができた。明石市が海と共に暮らす次世代の町へと発展するために、北口市長は全力で走り続けているようだ。
明石といえば「日本標準時子午線」の町として知られている。子午線とは正確に南北を結ぶ線で、明治21年1月1日以降、東経135度子午線の時刻を日本全国で使う事になった当時、一番に名乗りをあげた明石市が“時の町”として知られるようになった。
子午線上にシンボリックに建っているのが明石市立天文科学館だ。天体や時間について分かりやすく展示しており、カール・ツァイス・イエナ社製のプラネタリュームも人気だ。本館屋上にはさまざまな種類の日時計が稼働していて、晴天の今日は陰がくっきりと浮かび上がりその正確さに驚かされた。
町を散策していると、食欲をくすぐる匂いに混じって、威勢の良いかけ声が聞こえて来た。見ると「魚の棚商店街」の看板。剣豪、宮本武蔵が開場したのが起源とされる歴史ある商店街だ。アーケードをくぐると、穫れたての魚や野菜などの生鮮品、生活に要るあらゆるものが所狭しと並び元気がある。全国的に「シャッター通り」などと揶揄され不振にあえぐ商店街が増えるなか、漁港の町であるとともに、大阪や神戸のベッドタウンとして30万人もの消費者を抱える明石ならではの経済構造が、活気あるアーケード街を育んでいるようだ。地元の人は親しみを込めて「うぉんたな」と呼んでいる。一角の店に入り名物の明石焼きと鯛茶漬けに舌鼓を打った。さすがに全国的に有名な2品。漁師町で育った味はレベルが高く、「うぉんたな」に並ぶ生鮮品はどれも旨いもの揃いだと確信が持てる。
名物で腹を満たした後、船腹にタコのマーキングを施した愛嬌のあるタコフェリーに乗船し淡路島へ渡ることにした。かつての唯一の交通手段も明石海峡大橋の開通以降、利用者が激減している。明石市では海と暮らして来たプライドにかけて何とか存続させるべく、さまざまなアイデアを出し合っているという。旅情をかき立てる船上の潮風を心地よく感じながら、明石を後にした。
政策部秘書課の上田さんを始め、対応くださった明石市の皆さん、ありがとうございました。