なぎさ公園小学校訪問

日本グッドイヤーが社会貢献活動の一環として全国各地の小学校を巡回しながら環境にやさしい飛行船を通じて身近なエコを感じてもらおうと開催している「飛行船エコ教室」にTeam ACPも同行し「エコミッション」で巡った世界の環境事情を、未来を担う子ども達に伝えるため、広島市五日市なぎざ公園小学校を訪れた。

プリウスPHVへ一斉に乗り込む子ども達

プリウスPHVへ一斉に乗り込む子ども達

「学校法人 鶴学園 なぎさ公園小学校」は、小中高12年一貫教育のユニークでのびやかな環境の新設校。芝生の校庭を裸足で元気いっぱいに走り回る子ども達が実にイキイキしているのが印象的だ。

「自然に触れ、自然から教わる“ほんもの体験”をキーワードに、校内の敷地すべてを“ビオトープ”と捉え、水辺にはミジンコやメダカ、草むらには昆虫や蛙など生き物の多様性を持続できる環境作りをしています。無農薬にこだわる畑や田んぼもあって、学年毎に栽培難易度の違う様々な作物を育てているんですよ。今日も稲刈りとハセ掛けが行なわれるので見ていってください。」
と語るのは学校長の福原先生。ご自身もプリウスオーナーとの事でPHVにも興味津々のご様子、授業の前に充電をお願いしてプラグをカチッと接続していただいた。

農業実習を見せて頂いたが、なかなか本格的だ。小学三年生が先生に先導されて田んぼに着くと、良く切れる「かま」を一丁づつ手にして稲刈りを始めた。“危ない危ない”と道具まで凶器のように取上げてしまう風潮がある中、危険をしっかりと認識させながら、使い方を習得させるというねらいがある。裸足で走り回る事にも怪我や衛生面などから賛否あったが、バランス感覚の向上や免疫力のアップなど、メリットの方が遥かに勝る事を知り、「ほんもの体験」を授業の随所に取り入れる努力を続けているという。

子ども達は刈り取った稲をわらしべで丁寧に束ね、乾燥させるため「ハセ掛け」して本日の授業は終了。今後は「脱穀」「脱稃」「精米」と実際の米作り同様の作業が続く。農業以外にも、染め物や陶芸など、生活するということの本質を知る学習に力を入れているという。こんな環境でのびのびと育まれたしなやかな感性と高い知識を兼ね備えた子供たちが、将来どんな世界を作り出す人間へと成長するか、未来が楽しくなるような出会いだった。

暑い1日でしたが、先生方や子ども達に沢山の元気を貰いました。どうもありがとうございます。

棚田の荒廃を食止めるヤギの食欲

全国的に山間部の集落では過疎化が進み、特に棚田や段々畑など農耕機が使えず人力に頼らざるを得ない農地の荒廃が問題となっている。一度開墾した土地には、元来の森には見られない昆虫や蛙など多様な生物が共生をはじめるが、人の手が入らなくなると彼らは行き場を失い姿を消す。加えて、雑草が生い茂る荒廃地は猪や猿の絶好の隠れ家となり、近隣の農作物を荒らされたり、時には噛まれるなどの被害が増加しているというのだ。そのまま放置しても、開墾以前の森に戻るには100年以上も掛かり、古代の環境サイクルを取り戻すのは困難だと言われている。

遊休農地や田畑周辺の雑草をヤギに食べさせて保全を図るモデル事業が行なわれていると聞き、岡山県赤磐市沢原地区を訪ねた。岡山市内から岡山県庁農村振興部の杉さんの運転するEV車に先導してもらい、地元振興組合がボランティアで運営する「城山牧場」へ到着。野原を走り回るヤギ達の歓迎を受けた。

飼われているヤギは一般的な日本ザーネン種。傾斜地や段差のある場所も身軽に飛び回り、親ヤギ1頭が1日に10kgもの草を食べる。城山牧場では県内の山間部を中心とした遊休農地に3〜4頭の“ヤギチーム”を無償で貸し出しているが、1ヶ月も経つと見違える程きれいに刈り込まれた田畑が姿を現すとあって、荒廃に悩む多くの地域組合からの要請や問い合わせが絶えないという。

離島などで野生化したヤギが、森林や草原を食べ尽くしてしまうなどの深刻な環境破壊が問題となっているが、犬に次いで古くから人間に飼われていたというヤギは、しっかりとコントロールしながら付き合えば、自然との共生に一役買ってくれるという良い例がここにあった。牧歌的な風景の中、ただただ無心に草を食む愛嬌たっぷりのヤギ達に癒された1日だった。

愛嬌のある表情からは想像できない食欲

愛嬌のある表情からは想像できない食欲

もうひとつの石見銀山

早朝から高津川沿いを日本海側へ下り海岸線を東へ向かった。朝日を浴びて鮮やかなグリーンに輝く砂浜や、入り江に揺れる白い小舟が美しい。江の川を渡り太田市に入ると、2007年にユネスコの世界遺産(文化遺産)への登録が決まった石見銀山がある。世界遺産センターのある大森地区周辺には採掘場や製錬所跡地が保存され、多くの観光客が訪れて活況に湧いている。

石見銀山は自然銀の含有率が高い「福石」と呼ばれる鉱石が産出し、最盛期には世界の3割以上の産出量を誇るまでになった。時は戦国時代。銀をめぐる激しい争奪戦が繰り広げられ、銀山を手中にした武将は大内氏、尼子氏、毛利氏、豊臣氏と激しく入れ代わった。彼らは海外諸国と活発に貿易を行い、世界経済に大きな影響を与えたと言われている。

石見銀山が世界遺産に選定された一番の要因をご存知だろうか。銀の精錬に欠かせない燃料=薪を生み出す森林を、持続可能なエネルギー源として適切に維持管理し、環境負荷の少ない開発がなされた結果、現在も広葉樹などを含む豊かな森林が残っている事が高く評価されたからなのだ。自然との共生が求められる今だからこそ、文化遺産として認定されたのだという。そして先人の知恵を授かるべく、多くの植物学者や環境学者が石見銀山一帯の森林調査に乗り出している。

情緒ある景観の温泉津

情緒ある景観を誇る温泉津(ゆのつ)の町並み

鉱山跡地の賑わいとは裏腹に、静かに迎えてくれる「もうひとつの石見銀山」を訪ねて見た。掘り出し精錬された銀を世界各地へ送りだした港「沖泊(おきどまり)」と、銀交易で繁栄を極めた「温泉津(ゆのつ)重要伝統的建造物群保存地区」は、世界遺産石見銀山の全貌を知る上で欠かす事のできない場所だ。

のこぎりの刃のような海岸線の隠れ家のような港、沖泊には、室町時代に建立されたという海運の安全を祈願した恵比須神社が奉られ、銀の運搬船をもやった「鼻ぐり岩」と呼ばれる係留跡も数多く残っている。温泉津は、かの毛利元就が作ったとされる歴史のある町だ。築100年を軽く越える建物が軒を連ね、ゆったりとした時間が流れている。温泉津町が成立した50年程前には1万人を越える人口があったが、現在は過疎化が進んで半分ほどに減ってしまったという。手入れが行き届かずに荒廃が進む古い建物も多く見られるが、世界遺産認定で建物の価値が見直され、修復保存など後世に残す取り組みが始まっている。

今回の訪問をサポートしていただいた和田さん、代々老舗旅館を営んできた“ますや”のご主人、女将さん、温泉津の話を伺った皆さん、ありがとうございました。