仙台トヨペット本社訪問初日

青葉通りには赤や黄色の落ち葉が、道を覆い尽くすほど降り積もっている。EVモードで静かに走り抜けるプリウスPHVの風を受けながら、カサカサと乾いた音を立てて宙に舞い上がり、幻想的な光景が広がる。落ち葉の主は樹齢100年を越える大きなケヤキ並木だ。さすがは「杜の都」との異名を持つだけのことはある。

仙台のシンボルとして愛されてきたケヤキ並木だが、排気ガスや根の広がりが確保されないなど、厳しい生育環境のために、幹の空洞化や異常落葉などの樹勢の衰退が見られるという。現在工事が進む地下鉄東西線計画を機に、衰退木の治癒や植え替えなどのケヤキ並木保全活動がスタートさせ、健康なケヤキ並木復興を目指している。

元気&笑顔の女性スタッフ

青葉通りから仙台駅前を抜け、仙塩街道を東へ向かうと、左手にブルーメタリックに輝く大きなビルが見えてくる。今日と明日の2日間に渡ってプリウスPHVを展示する「仙台トヨペット」本社ビルだ。洗車を済ませて1階の展示スペースにプリウスPHVを停め、充電ケーブルを敷いて準備完了。開店前の朝礼に参加し、横田代表がエコミッション2010@ジャパンで九州からここまで、プリウスPHVに乗ってきた体験談などを話すと、発売前の貴重な情報を聞き逃すまいとする、スタッフの気持ちが強く伝ってきた。

開店時間を迎え、恒例の“電気くださ〜い!”を奥田社長にお願いすると、やさしい笑顔で快く応じてくれた。社長自らもプリウスPHVに強い関心を持っており、クルマだけでなく充電設備や新しいライフスタイルの事まで、PHV談義が続いた。スタッフの研究熱心さも相当なモノで、フィーリングから細かなパーツまで質問が相次ぎ、どこよりも早く情報を仕入れてお客様に提供したいという気持ちが現れていた。そして女性スタッフのきびきびとした動きと底抜けに明るい笑顔も印象的で、気持ちよくクルマと触れ合う事ができる場所を演出している。

プリウスPHVの展示は明日まで。是非立ち寄ってみてください。

愛情から生まれた“ふゆみずたんぼ”

紅葉も鮮やかな広葉樹の森を貫く東北自動車道を北上すると、朝もやの向こうに雪を頂く栗駒山が見えてきた。麓に広がる大崎平野は見渡す限り田んぼで埋め尽くされている。この辺りは古くから米づくりが盛んで、人気のブランド米“ササニシキ”や“ひとめぼれ”の誕生地としても知られている。

収穫を終えた蕪栗沼周辺の田んぼ

北上川、鳴瀬川などの河川が、高低差の少ない平野で蛇行して出来た湿原には沼が点在し、この時期になると快適な越冬地を求めて、多くの渡り鳥がシベリアから飛来してくる。宮城県最北部の伊豆沼は日本最大級の越冬地で、1985年に国際的に重要な湿地を保全する「ラムサール条約」に登録されている。

伊豆沼に近く、もともと湿原や沼だった土地を開墾した田んぼが広がる「蕪栗沼(かぶくりぬま)」周辺にも、沢山の渡り鳥が飛来してくる。落ち穂や、あぜ道の草など冬の貴重な食料が豊富な田んぼに囲まれた場所は、鳥たちにとって、快適な冬のねぐらを提供している。周辺の環境保全に取り組んでいる「蕪沼ぬまっこくらぶ」の伊藤さんの案内で、蕪栗沼を訪れた。田んぼを取り囲むように伸びる農道を進み、土手に突き当たった場所にプリウスPHVを停めた。背丈ほどの枯れススキを分け入って坂を上りはじめると、かん高い鳥の声が強まってくる。土手が視界の下方へ退いたその先には、夢のような別世界が広がっていた。葦が点在する水面が冬の静かな陽を浴びて輝くなかに、沢山の渡り鳥が羽を休める美しい光景だ。灰色の幼鳥をいたわるように寄り添う白鳥、田んぼの餌場から戻ってきたマガンの群れ、しきりに泳ぎ回るオオヒシクイなど、野鳥好きでなくとも見入ってしまう特別な時間が流れている。

蕪栗沼に飛来した渡り鳥たち

渡り鳥が食料や羽毛のために猟られていた頃には、絶滅が心配されるほどその数を減らしていたが、保護の対象として法整備がされるようになると、徐々に回復し、今では蕪栗沼に飛来する渡り鳥はマガンだけでも4万羽を越えるようになった。しかし、しばらくすると喜んでばかりもいられない事態に陥った。沼は自生する葦の枯れ草の沈殿や土砂の流入によって、年々水深が浅くなり、縮小しはじめたために、冬にやってくる大所帯を支えきれなくなってしまったのだ。滞った水に混じった大量のフンが腐敗して水質が悪化し、渡り鳥の健康被害が出始めるようになる。沼に注水して一定の水位を保ち、排水して汚泥を排出する治水対策や、沼地の葦や樹木の刈り取りなどの対策が取られているが、大幅な改善にはいたっていないのが現状だ。

この話を聞いて立ち上がった米づくり農家がいる。「伸萠ふゆみずたんぼ生産組合」の三浦さんは、冬の間も自分の田んぼに水を引いて渡り鳥の越冬地を拡大しようと提案したのだ。近代農法では冬の間はできるだけ田んぼを乾燥させるのが常識とされていたが、農薬や化学肥料のなかった時代に遡り、冬の間も田んぼに水を張って微生物による土壌保全を行なうという先人の知恵を復興させようという試みだ。しかし通年田んぼに詰めて水の管理をする事は想像以上に手間の掛かる作業で、苦労の連続だったという。三浦さんの働きかけで賛同する米づくり農家は増え続け、いまでは17件の農家が40ヘクタールの田んぼを「ふゆみずたんぼ」として管理している。

三浦孝一さんのやさしさが“ふゆみずたんぼ”を生んだ

三浦さんが「ふゆみずたんぼ」を始めて2年後の1985年、ウガンダで開催された第9回ラムサール条約締約国会議で「蕪栗(かぶくり)沼及び周辺水田」が登録湿地に認定された。沼だけでなく「水田」明記されたのは、周辺の米づくり農家の取り組みによるものとして高い評価を得ている。渡り鳥のために始めた「ふゆみずたんぼ」だが、うれしい事にこの田んぼで穫れた米は、無農薬・有機栽培米として注目され、高値で取引されているという。冬のねぐらを用意してくれた三浦さんの愛情に対する渡り鳥の恩返しなのかもしれない。

高品質を追い求める塩竈BDF事業

塩竈市は1300年前から日本三景「松島」を見守る鹽竈神社の門前町として歴史を刻んで来た。丘陵地と海がせめぎあう狭い土地に密集して暮らしている人口密度の高さも特徴のひとつだ。マグロの水揚げが全国トップなのは有名な話だが、蒲鉾などの練り製品のシェア(12%)も日本一という、漁業と水産加工業の町でもある。

おでんの具として人気の「ごぼう巻」や「さつまあげ」のように油で揚げた製品もトップシェアを誇っているが、廃油の処理に頭を悩ませていた「塩釜市団地水産加工業協同組合」と行政が、2003年から新エネルギー事業、バイオディーゼル燃料生産計画をスタートさせた。

他の地域では、廃油の回収段階から解決しなければならない問題が多い中、入り江を埋め立てた貴重な平地に水産加工業の建物が整然と軒を連ね、月間4万リットルにも及ぶ同品質の廃油を供給できる環境が好条件となり、2005年に環境省の助成認可が下る。2006年、晴れて本格的なバイオディーゼル燃料生産プラントが落成し、高品質バイオディーゼル燃料の供給が始まった。(バイオディーゼル燃料=BDF)

DBF事業について話を伺うため「塩釜市団地水産加工業協同組合」を訪れた。込み入った市街地とは違い、マス目に区画整理された広大な場所に、タンクが並ぶ施設が見えて来た。事務所前に到着して挨拶もそこそこ、プラントを見学する間、“電気くださ〜い!”とプリウスPHVの充電をお願いした。ここで思わぬサプライズ!

バイオディーゼル燃料で発電した電気をプリウスPHVに充電中

コンテナから2人掛かりで運び出してきてくれたのは何と「ディーゼルエンジン発電機」。もちろん燃料は水産加工の廃油から精製したDBFだ。ケーブルをセットしてエンジン始動。ドドドドッという騒音はいただけないが、DBFによる発電→プリウスPHVに充電という、思いもよらないエネルギー供給のカタチに、少なからず新たな可能性を感じる事ができた。

精製プラントを行程順に見せていただいたが、高品質なDBFを生産するために、厳密な温度管理、幾度となく繰り返される撹拌と静沈、膨大な種類のフィルター濾過などなど、想像以上に手間と時間を掛けている事に驚かされた。全国的にも高品質で知られる塩竈のDBFの輝きを、単なる“まねごと”で生み出すのは難しいだろう。

「塩釜市団地水産加工業協同組合」では、BDF精製時に分離されるグリセリンのリサイクルとして、堆肥の発酵促進剤としての利用を畜産組合と共同で開発したり、魚油からBDFを精製し、船舶の燃料として使用する試みなど、次のステップに向けた挑戦を続けている。順調に採算が取れる段階まであと一歩の所まで漕ぎ着けた塩竈市のBDF事業にこれからも注目して行きたい。