有明海へと注ぐ筑後川は肥沃な筑後平野を育み、多くの農作物を
筑後川の河口付近、若津港の上流には旧国鉄佐賀線が筑後川をまたいで福岡県大川市と佐賀県佐賀市諸富町を結んでいた鉄道用可動式橋梁「昇開橋」が掛かっている。
河口近くで勢いを失った緩やかな流れは、有明海から逆流してきた泥で褐色に濁っているが、それが「昇開橋」の赤色を一層鮮やかに際立たせている。
佐賀市側にある観光遊覧船乗り場から昇開橋を眺ながら、スタッフに筑後川について話を伺うと、有明海の影響を強く受けて水量が増減する筑後川には、昇開橋のほかにも隠された技術があるという。
「今は潮が満ちている時間帯なので見えませんが、川の真ん中に“デ・レーケ”という導流堤が隠れているんですよ。これがあるおかげで、筑後川は氾濫する事も少なくて平穏でいられるんです。」
「筑後川デ・レーケ導流堤」とは、1890年(明治23年)に築かれた土木施設で、当時の明治政府が、頻繁に氾濫し、船の航行にも支障をきたしていた筑後川の根本的な改修の要望を受け、オランダ人技術者デ・レーケの設計により築かれた土木施設だ。その効果は絶大で、川の流速を上げ、蛇行していた流れを制御する事で氾濫することも少なくなり、安全に船が航行できるようになったという。
筑後川河口付近にある若津港、三軒屋漁港には数多くの中型漁船が停泊しているが、その係留方法も筑後川ならではのユニークなもの。激しい干満差を受け流すため、6メートルにもなる支柱を水中に立て、ゆるめに
阿蘇を源流とした豊富な水量で、流域を潤す筑後川と、その栄養分で豊かな海産物に恵まれる有明海は、氾濫と激しい干満という2面性を持っている。流域に暮らす人々は悠久の歴史から学んだ知恵を駆使して、豊穣の自然と共生している。
佐賀を後にしたエコミッションは、名陶の里として知らない人はいない海辺の町へ向かいます。
明日のレポートもお楽しみに。