伊万里湾に浮かぶ福島へ渡り、稲刈りが終わったばかりの
“松浦の福島に
宿泊先から海岸線に沿って北上し、福島を目指すが、伊万里湾は岬と島が入り混じった地形なので、どれが島なのか区別するのは難しい。カーナビの地図を頼りに進むと、やがて大きな白い橋が見えて、海峡の向こうに見える森が福島だと分かった。
高台の駐車場から柵まで、ゆっくり歩き出すと広大な棚田が眼下に見えてきた。
でっかい!!
これまで見て来た棚田の繊細なイメージとは違い、がっしりとした大男の風格を感じる。何しろ田んぼ1枚が広く、人の背丈ほどもある段差が巨大な階段を造り上げている。最下段の先にある小さな漁港に係留している船がおもちゃのように浮かび、海には「いろは島」と呼ばれる大小48個もの島々が浮かぶ。圧巻の“絶景”に、大きさの尺度が麻痺して来る。
棚田の中程に通る道をプリウスPHVで走り出すが、段差の陰にかくれて前を見渡す事が出来ないほど起伏に富んでいる。高台から見たプリウスPHVは漁船よりもさらにスケールダウンしたおもちゃに見えた。
撮影が終わり、ムービーカメラやマルチコプターを撤収していると、地元農家の方々がもの珍しそうに軽トラックで集まってきた。
皆さんが
棚田は米を作れば作るほど散財すると言われ、維持していくためには多くの資金と手間が掛かるという。
今日お会いした人懐っこく陽気な方々のおかげで、雄大な棚田の絶景が保存されているのだ。
あぐり山戦争遺跡
伊万里を離れる前に、伊万里湾全体を見渡せるという「あぐり山」に登ってみた。ここは戦時中、敵艦の来襲に備えた監視哨と呼ばれる見張り台があった場所で、遠く玄界灘の外洋まで一望できる。
一時は食料補給や修理のため、750隻を超える戦艦やご曳船などが入湾したという伊万里湾を見張っていたあぐり山は、悲しい負の遺産として静かに保存されていた。
盛夏の大陽がジリジリと照りつけていた8月末に山口県光市をスタートした旅は、秋へと移ろう季節の変化を感じながら、いよいよ終盤を迎える。
舞台は火の国熊本。
勇猛な武将として多くの逸話を持つ加藤清正公の治めた熊本の町は、そして雄大な阿蘇の大自然は、どんな出会いを授けてくれるのか。プリウスPHVを通してみる熊本の“今”を伝えたいと思う。
明日からのレポートをお楽しみに。
戦艦「霧島」の主砲員だった帆足さんに同行参拝
日本の素晴らしさについて各地で講演活動をしている現役大学生、山本みずきさんの案内で、元海軍・戦艦霧島の主砲員・帆足宗次さん(97歳)に同行して護国神社に参拝させていただいた。
参拝の後、帆足さんが生々しく語ってくれた霧島最後の時は、あまりにも悲しく心に突き刺さる。
戦った相手も同じ苦しみを味わっただろうと思い立ち、鎮魂のために帆足さん自ら手作りした木製の「霧島」が護国神社に奉納されていた。これはほんの一部で、九段の靖国神社には100叟を超える戦艦や空母も模型が奉納されているという。
帆足さんから伺った戦争の貴重な体験談を広めたいと思います。
ありがとうございました。