田んぼに面した縁側に腰掛けると、僅かに色づき始めた稲穂を渡る風の匂いが心地よい。すぐ側を唐津街道が走るのだが、まるで深い山間のムラに居るような静けさだ。「善ちゃんハウス」のやぎ“オリーブ”の可愛いらしい鳴き声と、魚を捕らえた釣り竿のようにゆらゆらと風に踊る稲穂のサワサワという音だけが聞こえてくる。
伊万里は別名“フルーツ王国伊万里”とも呼ばれ、豊かな果汁と歯ごたえが特徴の伊万里梨が特に有名で、生産量は西日本一を誇っている。最盛期は過ぎたものの、まだ収穫できるというので、伊万里市役所観光課の山口さん、横山さんに観光農園に案内していただき、梨とブドウ狩り体験に出掛けた。
南向きの緩やかな斜面にある「樋口果樹園」では、伊万里梨とブドウの収穫体験が楽しめる。防風林に囲まれた果樹園には、平日にも関わらず多くのお客さんが訪れていた。代表の樋口さんの案内で梨畑に入ると、美しく剪定された梨棚に、大ぶりの豊水がたわわに実っている。
さっそく収穫用のはさみを借りて梨の品定めにと思ったが、どれも同じような粒ぞろいで迷ってしまう。ふと目に止まった梨のジクを切り取って手にすると、ずっしりとした重さを実感する。数個収穫して入口に戻り穫れたてをガブリと頬張ると瑞々しい果汁が口いっぱいに広がる。甘さもシャキシャキとした歯触りも一級品!さすがは名の知れた伊万里梨だけの事はある。
樋口果樹園には数頭のやぎが飼われている。とても人懐っこく愛嬌たっぷりの人気者だが、ただのペットと思ったら大間違い。畑の下草や痛んだ梨を食べているだけに見えるやぎだが、もっと大事な仕事をしてくれているのだ。
この辺りの畑では、夜になるとイノシシが山から降りてきて農作物を食い荒らす被害が多いそうだが、やぎを飼い始めるとぴたりと姿を消したという。数千年も前から人に飼われて来たやぎに“人の気配”を感じて、野生動物が近づかなくなるという話は方々で耳にするが、やはり本当のようだ。やぎという家畜を介する事で人と自然が共生する知恵を学ばせてもらった。
陽も傾き始め、伊万里湾が色づきはじめた頃、観光課の山口さんに宿泊先まで案内していただいた。伊万里の素晴らしい見どころを一緒に巡ってくれたお2人とは、ここでお別れだ。
海沿いの唐津街道から少し山側に入った場所に今日の宿泊先「善ちゃんハウス」がある。温室の前にプリウスPHVを停めると、中で作業をしていた女将さんが満面の笑顔で出迎えてくれた。広々とした温室にはたくさんの種類のシクラメンの鉢植えがずらりと並び、数名の女性スタッフが丁寧に土の入れ替え作業をしていた。
田んぼの前の離れが宿泊させていただく建物だが、その古民家風のどっしり風格ある佇まいが風景にマッチしている。中も田舎風かと思いきや、十数年大阪で暮らし、ご主人とともにUターンで伊万里へ戻ったという女将の洋子さんのセンスが光る超快適スペースだ。大きなオープンキッチンに渋い色合いのローソファ、淹れたてのコーヒーの香りと静かに流れるJAZZ。おまけに無線LANまで完備している、最高の宿に仕上げてあった。
善ちゃんご夫妻との談笑が楽しくて、夕食の準備は少し遅い時間からスタートした。手作りのお豆腐を準備してくれているというので、体験させていただくことに。甘い豆の香り漂うキッチンで、ゆっくりとお豆腐が出来上がる様子は理科の実験のような楽しさだ。
豆腐づくりを体験している間、ご主人はペットとしてかわいがっているやぎの“オリーブ”の散歩に出掛けるという。やぎの散歩とは初耳だが、これが大切な日課で、道草がオリーブの夕食になるのだ。のどかな夕景の中で草を食むオリーブとご主人の2ショットを、同行したカメラマンが切り取ってくれた。
お待ちかねの夕食は、海と山の幸が味わえる伊万里ならではの献立。もちろん手作り豆腐も食卓に上った。皿の下に敷かれたプレースマットの「洋子」印を見てびっくり。何と一枚一枚墨で手描きされた見事な作品だ。これこそ本物の“おもてなし”と、いたく感激させていただいた。もちろんお料理の味も気遣いが感じられる仕上がりで、大満足の夕食だった。
たった一泊の宿をお借りしただけなのに、書き足りないほどたくさんの思い出をいただいた「善ちゃんハウス」にわかれを告げる朝が来た。豊かな自然と歴史に育まれた伊万里は、格別のおもてなしでエコミッションを送り出してくれた。
伊万里市役所観光課の山口さん、横山さん、
善ちゃんハウスのみなさんお世話になりました。
ありがとうございます。