島原の町を散策していると、見通しの利く場所や建物の隙間から、白壁にいぶし銀の瓦が美しい「島原城」を望む事ができる。明治の廃城処分で撤去されてしまったため、現在建っているのは50年程前に主要部のみ復元されたものだが、かつての城下の規模からは考えられないほど堅牢で規模も大きい。実際に訪ねてみると、深い掘割りや堅牢な石垣、そびえ立つ天守閣など、随所にこだわりを感じる作りに驚かされる。島原藩2代藩主「松倉重政」が僅か四万石の石高でこのような城を建立したのが原因で財政が逼迫。さらに溶岩質の固い地盤が困難な重労働を強いたために、徴用された領民からついに一揆が起こり、やがて島原の乱へ突入したと言われている。その後も歴史に翻弄され続けた島原城だが、現在は豊富な温泉などと共に、観光の目玉として賑わいを見せている。
島原といえば温泉が有名だが、銘水の豊富な事でも知られている。普賢岳の伏流水と大手川の地下水脈が、火山地帯を通る時に熱せられたものが温泉として湧き出している。一方、同じ水源から、より浅い地下を通って湧き出す冷水が町の至る所で見られ、島原市内に60箇所を越える湧水場がある。その中でも規模も大きく名水百選にも選ばれている“浜の川湧水”を訪れた。洗濯をしながら井戸端会議に華を咲かすご婦人達に湧水の作法を伺った。「上から飲み水、時計回りに下に進むにしたがって、野菜の洗場、洗濯場。毎日使っていますよ。冬は温かい、夏は冷たい。良い水なんですよ。」水を愛おしみ、下流で使う人に配慮しながら、湧水が生活の一部として使われ続けている。
次の訪問地、佐賀へ向かうため、島原を後に有明海沿岸を北上する。すばらしい晴天に恵まれた海辺のドライブは爽快そのもの。雲仙に差し掛かると“端午の節句”を間近に控え、あちらこちらに鯉のぼりが揚っている。その中でもひと際見事な鯉のぼりがはためくお宅を訪ねた。ご長男“ゆうせい君”の初節句のお祝いに、親戚中から贈られた鯉のぼりや旗が、空と有明海の青を背景に力強く舞う姿は勇壮そのものだ。突然の訪問にも関らず、快く撮影させていただきありがとうございました。
カテゴリー: ECO-MISSION2011,九州
トラックバック Uri
最近のコメント