九州



4月 20日 2011

歴代藩主の陣旗が揚る島原城

歴代藩主の陣旗が揚る島原城

島原の町を散策していると、見通しの利く場所や建物の隙間から、白壁にいぶし銀の瓦が美しい「島原城」を望む事ができる。明治の廃城処分で撤去されてしまったため、現在建っているのは50年程前に主要部のみ復元されたものだが、かつての城下の規模からは考えられないほど堅牢で規模も大きい。実際に訪ねてみると、深い掘割りや堅牢な石垣、そびえ立つ天守閣など、随所にこだわりを感じる作りに驚かされる。島原藩2代藩主「松倉重政」が僅か四万石の石高でこのような城を建立したのが原因で財政が逼迫。さらに溶岩質の固い地盤が困難な重労働を強いたために、徴用された領民からついに一揆が起こり、やがて島原の乱へ突入したと言われている。その後も歴史に翻弄され続けた島原城だが、現在は豊富な温泉などと共に、観光の目玉として賑わいを見せている。

島原湧水のひとつ“浜の川湧水”

島原湧水のひとつ“浜の川湧水”

島原といえば温泉が有名だが、銘水の豊富な事でも知られている。普賢岳の伏流水と大手川の地下水脈が、火山地帯を通る時に熱せられたものが温泉として湧き出している。一方、同じ水源から、より浅い地下を通って湧き出す冷水が町の至る所で見られ、島原市内に60箇所を越える湧水場がある。その中でも規模も大きく名水百選にも選ばれている“浜の川湧水”を訪れた。洗濯をしながら井戸端会議に華を咲かすご婦人達に湧水の作法を伺った。「上から飲み水、時計回りに下に進むにしたがって、野菜の洗場、洗濯場。毎日使っていますよ。冬は温かい、夏は冷たい。良い水なんですよ。」水を愛おしみ、下流で使う人に配慮しながら、湧水が生活の一部として使われ続けている。

雲仙の見事な鯉のぼり

雲仙の見事な鯉のぼり

次の訪問地、佐賀へ向かうため、島原を後に有明海沿岸を北上する。すばらしい晴天に恵まれた海辺のドライブは爽快そのもの。雲仙に差し掛かると“端午の節句”を間近に控え、あちらこちらに鯉のぼりが揚っている。その中でもひと際見事な鯉のぼりがはためくお宅を訪ねた。ご長男“ゆうせい君”の初節句のお祝いに、親戚中から贈られた鯉のぼりや旗が、空と有明海の青を背景に力強く舞う姿は勇壮そのものだ。突然の訪問にも関らず、快く撮影させていただきありがとうございました。


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4月 19日 2011

鍛える道具の美

鍛える道具の美

島原城築城で集められた職人が起源とされる鍛冶屋の中でも、全国的にもめずらしい日本古来の「たたら製鉄法」で鉄を一から作っているという「吉光」さんを訪ねた。築70年の木造工房は梁と屋根で支える柱の少ない構造で、長い年月を掛けて染み付いた熱と鉄粉を身にまとい、中央に据えられゴウゴウと燃えるタタラ製鉄の釜の鼓動に共鳴する、ひとつの生き物のような存在感がある。

有明海沿岸で採取した砂鉄を松炭をくべた釜で溶かし、藁灰をまぶしながら鍛錬する独特のたたら製鉄法で作られる希少な「玉鋼」は、日本刀にも使用され、作られた刃物は鋭い切れ味を誇る。砂鉄100kgを製鉄して採れるのは僅かに4kgほどと、まさに玉のように貴重な塊。吉光ではこの「玉鋼」を贅沢に使った、こだわりの包丁や農具などの刃物を作っている。

数年前、鉄製の空き缶を釜で溶かして包丁が作れないかと思い立った。塗装を焼き剥がして細かく刻み、温度管理に細心の注意を払うなど試行錯誤の末、ようやく鋼の精錬に漕ぎ着け「エコ包丁」を誕生させたという。実際に空き缶を釜で溶かす作業を見せていただいたが、少しずつ釜にいれて溶かしては鎚で打つ事を幾度となく繰り返す手間の掛かりようで、大量にあった空き缶40個から、やっと一丁の包丁が生まれる。

ここ「吉光」で鎚を振るうのは「吉田5兄弟」。90歳で現役という“次男 則行さん”を筆頭に、“五男 鍛さん““六男 錬治さん”“七男 研治さん”“九男 輝起さん”と、鍛冶にちなんだ名前が並び、5人の合計年齢は380歳を越えるというから驚きだ。

プライドと自信に満ちた鍛冶職人達

プライドと自信に満ちた鍛冶職人達

昔から炭を多用する鍛冶職人達は、森林資源を有効に活用する工夫を続けてきた。吉光さんでも廃材を使って自分で炭焼きをしたり、廃油を燃料として使える釜を作ったりと、環境保全が身に付いているのには関心させられた。伝統を継承しながらも、新しいものづくりに挑戦し続ける「吉光」吉田さん兄弟の心意気に、たくさんの元気をいただいた。末永く本物の刃物を作り続けていただきいと願いながら工房を後にした。
吉光の皆さんありがとうございました。

長崎県伝統工芸品/肥前島原 鍛冶屋「吉光」


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4月 18日 2011

しばらく滞在した宮崎を離れる朝が来た。“南国宮崎”に相応しい、爽やかな朝日を浴びて、橘通りのフェニックス並木が一層美しさを際立たせる中、東九州自動車道を経由して、宮崎自動車道を西へ向かう。

南国宮崎を後にする

南国宮崎を後にする

延々とゆるやかな上り坂が続き、標高1,000mに達する霧島SA付近では、噴火による降灰被害をもたらした霧島山新燃岳がその堂々とした輪郭を現す。えびのジャンクションで九州自動車道に入ると、南関インターチェンジまで北上を続け、さらに長洲港からフェリーに乗船。有明海を越えて、ようやく今日の宿泊先島原へ到着した。延べ6時間余、長距離移動の1日となった。


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