物流に伴うコストや環境に与える影響を抑える“地産地消”という言葉がクローズアップされて久しい。その多くは食材を指す事が多いが、林業の原点もまた、この“地産地消”に他ならない。集落と自然林との間に木を植え、何世代にも渡って間伐や枝打ちなどの人手を掛けて大木へと成長した所で切り出し、また木を植える。つまり、樹齢100年の木を使って建てた家は100年住み続けるのがセオリーで、そうした事を輪廻のように繰り返して、自然との折り合いをつけてきたのだ。しかし、交通機関の発達とともに安価な輸入材が出まわるようになると、不要になった森林は見放され、荒廃した放置林が日本中に広がってしまった。
杉の銘木としてその名が知られる秋田杉の名産地との県境、山形県金山町は自然豊かな山間にある林業の町だ。樹齢80年以上の杉だけが冠する事のできるブランド銘木「金山杉」の産地として知られ、厳しい冬の寒さとフェーン現象がもたらす夏の暑さという独特の気候風土がもたらす杉巨木は、厳冬期に伐採する「寒切り」や夏場の「葉枯らし」など先人の知恵で高品位な材木に仕上げられ、狂いの少ない建材として古くから高値で取引されて来た。手入れの行き届いた杉林が取り囲む町の中心部には、黒い切妻屋根と白い漆喰壁、杉板を貼り巡らせた袴のコントラストが美しく、金山杉を贅沢に使った「金山型住宅」の町並みが連なる。木製の歩道を備えた「きごころ橋」、大正期の旧郵便局を改築した「交流サロンぽすと」などの見所も多く、道路脇には雪深い地方ならではの「融雪溝」という水路が巡らされて、しっとりとした風情に溢れている。全国区で実施されている景観、まちづくりに関するコンテストでも多数の受賞歴を誇る素晴らしい「地産地消」の町並みを一目見ようと、県外からの観光客も年々増え続けているという。
しかし、現在の美しい町並みは、平穏に継承されて来たものではない。景観にこだわった町づくりは、昭和38年、当時の町長岸英一氏が提唱した「全町美化運動」に始まる。大量生産・大量消費の時代に拍車が掛かる1960年頃を境に、他の地域同様、金山町の林業にも陰りが見え始め、100年単位で受け継がれて来た「金山杉」の伝統が失われようとしていた。この危機を乗り越えようと立ち上がった岸町長は、アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、スイス、ドイツ、スウェーデンと7ヶ国を訪問、森林・行政・教育・社会事情の視察を行い、各国の美しい街並みや自然との付き合い方に深い感銘を受けた事に端を発する。1983年に「街並み(景観)づくり100年運動」がスタートすると、地域の気候風土にあった住宅景観の創造を進め、在来工法を中心に切り妻屋根に木組みの柱と白壁作りといった「金山型住宅」の様式を体系化し、木造住宅の普及や大工技術の向上を目指した「金山町住宅建築コンクール」を実施するなど、25年余の歳月を掛けて「金山杉」の“地産地消”に町全体で奔走した結果、林業の復興とともに素晴らしい景観として結実したのである。
「金山杉」の巨木群が保存されている「大美輪の大杉」を訪ねようと「きごころ橋」のたもとにある酒屋さんにルートを聞いた。笑顔が素敵な「リカーショップオノデラ」のお母さんにすっかり魅了され、世間話に花を咲かせているうちにプリウスPHVの話題となり、折角なので充電をお願いする事に。道順と一緒に、電気と元気をいただいた。
お母さん、ありがとうございました。おかげ様で「大美輪の大杉」を見る事ができました。
杉巨木の森へ一歩踏み入ると、そこは静寂な別世界。樹齢250年を越えても尚、真っ直ぐ天を目指す堂々とした姿に圧倒され、ただただ見上げるばかり。何しろここに居るスタッフ4人の年齢を足しても遙かに及ばない“目上”の存在なのだから。根元の直径は2m程と巨木としては細いと感じるかもしれないが、寒さが厳しいここ金山町では一年に成長できる伸び代は極僅かで、それが高品質な「金山杉」の特徴でもある。森の奥まで進んで深呼吸を繰り返ながら、人間が十数代にも渡って受け継いできた“遺伝子リレー”を、たった一代で軽々と越える巨木たちの神秘的な生命力と、樹々を支えるために山仕事を続けてきた金山町のご先祖たちの事を思うと、心の中を簡単に見透かされるような“懺悔”している気持ちになるから不思議だ。この先も脈々と継承されであろう「金山杉」の伝統と、町の景観に敬意を感じながら、美しい金山町を後にした。
自然豊かな山形県最上郡金山町フォトスケッチ
Music by DEPAPEPE
category: ECO-MISSION2011,東北
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