壇ノ浦の戦いに敗れた平清盛の義弟・平時忠は能登への流刑が決まり、姓を時国に改めて輪島に移り住んだ後、困窮していた近隣の農村の救済を図り、この地を支配する豪農として800年の長きに渡り繁栄を続けた。輪島市町屋町周辺には国の重要文化財に指定されている「上・下時国家」をはじめとした歴史的建造物が点在している。遙か太古の時代、浅い海だった奥能登一帯は、豊富なミネラルを溜め込んだまま隆起し、半島随一の河川「町野川」流域に肥沃な土壌をもたらしている。平家ゆかりの「時国家」繁栄の背景には、この土地から授かった豊かな実りがあり、米どころとして全国的に知られる今に繋がっている。
両側を山に囲まれた町屋町の平地には、山の麓ぎりぎりまで田んぼが耕作され、青々とした稲穂が風になびく壮大な景色が広がっていた。ここにある建物はどれも統一感があり、黒瓦が特徴的な「輪島市大倉市営住宅」も景観に配慮した外観で静かな田園風景にマッチしていた。この土地に住む人達が地域ぐるみで“田んぼのある美しい町”を守り継承している事に感銘を受けた。
町屋町から15分程の海岸沿いに、5年前、当時の小泉首相が“絶景だよ、絶景”と言った事が報道され、全国的に知られるようになった「白米の千枚田」がある。崖を階段状に耕作した狭い場所に400年前に作られたという谷山用水を引き込み、田んぼが作られている。対面する高台に設けられた「千枚田ポケットパーク」の展望台から全体を見渡すと、美しい幾何学模様の棚田が古代遺跡のように斜面を彩り、まさに“絶景”。案内看板によると千枚田の名の通り、実際に1,004枚の田んぼが作られているという。
海側の田んぼの一番端に、折れ曲がったように見える一本の樹木が立っている。冬の日本海から吹きつける強風のために、陸側へ曲がって成長したようだ。近寄ってみると、海側の樹肌はささくれ、陸側には何本ものシワが刻まれている。この木の姿は、我々チームACPが敢行した「サウスアメリカ エコ・ジャーニー(2008年)」で訪れた南米大陸最南端の町“ウシュワイア”の峠に自生する「強風に耐える木」に酷似していた。
(当時のレポート:南極大陸まで1,000km足らず。時には風速60m以上の激しい強風に晒されるため樹木が変形している。それでも逞しく根を張り、早春に芽吹く姿に強い生命力を感じる。)
陽が日本海へ傾きだすと、それに呼応するように刻々と表情を変え、いつまでも眺めていたい気分にさせられる。田んぼの中には通路が張り巡らされ、一般客も立ち入って見る事ができるというので、急な斜面を下って田んぼの側へ行ってみた。展望台から見ると庭園のような景観も間近でみると、しっかりと畦塗りがされて引き締まった見事な田んぼに、稲が力いっぱい成長している。冬には強風に晒され、夏にはむせかえるような湿気の中、きつい傾斜を幾度となく往き来しながらの米作りの大変さから、にわかに荒れ始めていた棚田だったが、この美しい景観を守るため所有者を中心に組織された「白米千枚田愛耕会」による耕作・保存活動が行われ、オーナートラスト制度で協力者を募り、ボランティア参加による田植え・稲刈りイベントの開催など、地域を越えた力で日本の原風景「白米の千枚田」が守られている。
明日は能登半島を後に、富山へと移動します。
引き続き、素晴らしい日本の魅力をお届けしますので、お楽しみに。
カテゴリー: ECO-MISSION2011,北陸
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