北陸



8月 20日 2011

稲作の盛んな北陸の中心都市新潟は“潟”の名が表す通り、ヨシの生い茂る低湿地が点在する。耕作地や宅地を拡大するための干拓事業によって多くの潟が消滅してしまったが、生物多様性に富んだ潟の保護を求める声の高まりと共に、官民一体となった潟環境保全活動が活発に行われるようになってきた。新潟市郊外にある「福島潟」もそうした潟のひとつで、450種以上の植物が生い茂り、220種以上の野鳥や小動物など、実に多くの生物が織りなす生態系が営まれている。

ビュー福島潟屋上からのすばらしい眺望

ビュー福島潟屋上からのすばらしい眺望

福島潟の生き物を紹介し、稲作と密接に関わってきた潟の大切さを広めるために開設された水の駅「ビュー福島潟」を訪れた。このあたりで“ヨミセ”と呼ばれるカイツブリを観察する「ヨミセ見ようぜ」と題したワークショップが行われているというので、一般の参加者と一緒にレンジャーの小林さんに福島潟を案内していただいた。広大な潟に足を踏み入れると、静かな水面に点在するヨシの群生の上を、数種類のサギやカルガモなど多くの水鳥が飛来し、白い軌跡を残しながら水辺に降り立つ姿が間近で見られる。新潟市のベッドタウンでもある周辺には多くの住宅がある町のすぐ側で、これほどすばらしい自然が残る場所があるとは驚きだ。

カルガモの一団が羽を休める

カルガモの一団が羽を休める

レンジャーの小林さんは言う。
「ここ福島潟をはじめとした多くの潟は、稲作の水源として古くから活用されてきた場所です。日本中の多くの場所で里山を大切に守り、稲作などの水源としてきたように、この地域の暮らしに潟は欠かせない存在なんです。ここは海岸線から10キロ以上内陸にありますが、海抜ゼロメートル以下の低湿地で何度も水害に見舞われています。護岸工事をして水路を建設すればある程度の水害は防げるかも知れませんが、その度にここに暮らす人達が潟の存続を切望してきました。潟とは山の無いこの地域にとって大切な“里潟”なんです。」

今年の田んぼアート

今年の田んぼアート

福島潟の入口に近い田んぼには、毎年恒例となった稲の種類、特に黒っぽい葉の“古代米”で輪郭をかたどり絵柄を浮き立たせる「田んぼアート」が栽培されている。東日本大震災があった今年は、被災地に向けたメッセージが描かれていた。田んぼアートや、福島潟に建つ古民家を再現した休憩所“潟来亭”を管理し、潟の保全に尽力している長谷川さんは、自身が1977年の大水害で家も田畑も全て失った辛い経験から、東北の被災された方々にメッセージを送りたいとの思いが強い。福島潟が水害に深く関わっている事も事実だが、この潟があったからこそ復興しようという決意を持てたと、当時の気持ちを語ってくれた。これからも支えてくれる多くのボランティア達と共に福島潟の保全に人生を掛けたいという力強い言葉をいただいた。

囲炉裏のある「潟来亭」を管理する長谷川さん

囲炉裏のある「潟来亭」を管理する長谷川さん

レンジャーの小林さんや長谷川さんのような方が居られる限り、福島潟は健やかに次世代へと引き継がれて行くことだろう。真っ白なダイサギが頭上を飛来する姿を眺めながら、美しい福島潟を後にした。


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8月 19日 2011

次の訪問地、新潟市に向かう途中、10年前に訪れた黒部川に立ち寄る事にした。当時、黒部川の環境整備に躍起になっていた「黒部川水のフェスティバル」実行委員から“この場所を子供たちが黒部川と触れ合う場として育てて行きたい”という夢を聞いていたので、一体どんな進化を遂げているのか見たいと思ったからだ。

護岸の石に描かれたアート

護岸の石に描かれたアート

黒部川は源流から河口まで僅か85キロと極端に短い距離を、豊富な水量が突進する、通称「暴れ川」と呼ばれ、川に近づく事はタブーとされていた。しかし10年前、子供たちが川の水と触れ合い、もっと身近なものとして親しんでもらえるようにと、河川敷に水路を引いて魚の道を確保し、周囲に緑地帯を作って市民に開放される事になった。年一回開催される「水のフェスティバル」では、川に流れ着く「流木」で作った流木アート展や、河原の石に自由にペイントをして護岸壁を飾り、石のタイムカプセルとして次世代に残そうという試みが始まったばかりだった。

富山県警の救助ヘリ演習

富山県警の救助ヘリ演習

国道8号線を黒部大橋の前で右折し、黒部川沿いに奥へと進むと、きれいに整備された芝のグラウンドで富山県警の救難ヘリコプターがホバーリングしながら上昇下降を繰り返し、山岳救助の訓練を行っていた。因みに早朝のTVニュースでは、同型のヘリコプターが黒部川支流で遭難した家族を救助している様子が映し出されていた。無事救助されたのも訓練の賜物だろう。

当時の記憶を頼りに、石や流木のアート作品が並んでいた場所を探すがなかなか見つからない。河川敷をウロウロしていると電力会社の派手なカラーリングのランクルに出会った。もしかして知っているかも知れないと思いクルマを停めて尋ねた。「あ~、人工の水路ね。200mぐらい行った土手側にありますよ。」早速、この暑い日に涼を求める子供たちが楽しく遊ぶ光景を思い浮かべながら、その場所へ向かった。

大人たちの憩いの場

大人たちの憩いの場

小さな水路にチョロチョロと水が流れ、護岸の石には剥げかけた絵の具が寂しげなアート作品、所どころに転がるように落ちている流木アート。雑草一本生えていない整備された芝生のパークゴルフ場に囲まれ、水路にも途中に作られたビオトープにも魚や水生昆虫の気配はなく、水と戯れる子供たちの姿はどこにも見当たらない。ゴルフに興じる大人たちの笑い声とバタバタという救助へりのローター音の下で、子供達のためにと描いた夢が空しく残るばかりだった。どのような経緯があったのかは不明だが、かつて目指したはずの“水と触れ合う夢の遊び場”を、もういちど実現して欲しいと願いながら、黒部川公園を後にした。


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8月 18日 2011

幹線道路を離れ、激しく蛇行する峠道に差し掛かると、樹々の隙間から見える空が暗雲に覆われ、今にも降り出しそうな空模様だ。「越中五箇山相倉集落」の案内板を見つけて左折、さらに深い森へ入りしばらく進んだ先に合掌造りの民家が建ち並ぶ集落が見えてきた。まるでお伽話に出てきそうな景観にしばらく言葉を失う。

静寂につつまれた「越中五箇山相倉集落」

静寂につつまれた「越中五箇山相倉集落」

集落の入口にある駐車場にプリウスPHVを停め、辺りを散策しようとクルマを降りた途端、バラバラと音を立てて大粒の雨が降ってきた。茅葺きの茶屋の軒先でしばし雨宿り。さらに激しさを増した雨が糸を引くように視界を遮り、ぼんやりと見える合掌造りの連なりが夢のように感じられる。15分程で空が明るく輝き出すと、水道の蛇口を閉じるようにピタリと雨が止み、ちぎれた雲のかけらが谷間に留まって、幻想的な風景に磨きがかかる。

雨上がりの霧が幻想的

雨上がりの霧が幻想的

麓からは集落があることすら気づかない程、深い山々に囲まれた「越中五箇山相倉集落」は、平家の落人が住み着いたと伝えられている。世界的にもトップランクの豪雪地帯である五箇山は60年程前までは長い冬の間、外界と完全に隔離された暮らしがあった。雪下ろしや屋根の葺き替え、薪集め、田植えや稲刈りなど、多くの作業を村人が協力しあうことで、人里はなれた暮らしが成り立ってきたという。エネルギーを地域で共有し有効活用しようとする“スマートグリッド”の精神が、この集落には数百年前から根付いていたのだ。薪や建築資材を“おらが村の財産”として共有してきた集落の精神に見習う時期に来ているのかも知れない。

器用に紙を漉く子供たち

器用に紙を漉く子供たち

「越中五箇山相倉集落」から10分ほど下った場所に、特産の和紙の魅力を紹介する施設「五箇山和紙の里」がある。トヨタ自動車運営サイトGAZOO.comが提案する“マチで暮らす人たちにムラでしか味わえない感動体験”をWebを通してナビゲートしようという、全国に58あるガズームラのひとつでもある五箇山で、昔ながらの和紙作りを体験できるというので、ガズームラサイトでブログを公開している「わしのさと」さんの案内で、こどもたちと一緒に参加することにした。何種類かある体験コースのうち、初めてでも簡単にできる「和紙のはがき作り」に挑戦。

きれいにできたかな?

きれいにできたかな?

木枠を揺すって漉いたあと、紅葉など天然の素材を漉き込んで水分を絞り、乾燥させて出来上がり。手作り感いっぱいのオリジナル和紙はがきに、参加した子供たちも大満足の様子。笑顔あふれる夏休みのひとときとなった。体験の最後には、参加された方々をはじめ、和紙作りの先生や同行取材してくれた地元テレビ局クルーの皆さんにも被災地へ届けるメッセージもいただき、素晴らしい時間を共有できた事に感謝しながら、五箇山を後にした。

■五箇山和紙の里
http://washi.city.nanto.toyama.jp/

■同行取材してくれたテレビ局様
・富山テレビ
・北日本放送
・チューリップテレビ


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