稲作の盛んな北陸の中心都市新潟は“潟”の名が表す通り、ヨシの生い茂る低湿地が点在する。耕作地や宅地を拡大するための干拓事業によって多くの潟が消滅してしまったが、生物多様性に富んだ潟の保護を求める声の高まりと共に、官民一体となった潟環境保全活動が活発に行われるようになってきた。新潟市郊外にある「福島潟」もそうした潟のひとつで、450種以上の植物が生い茂り、220種以上の野鳥や小動物など、実に多くの生物が織りなす生態系が営まれている。
福島潟の生き物を紹介し、稲作と密接に関わってきた潟の大切さを広めるために開設された水の駅「ビュー福島潟」を訪れた。このあたりで“ヨミセ”と呼ばれるカイツブリを観察する「ヨミセ見ようぜ」と題したワークショップが行われているというので、一般の参加者と一緒にレンジャーの小林さんに福島潟を案内していただいた。広大な潟に足を踏み入れると、静かな水面に点在するヨシの群生の上を、数種類のサギやカルガモなど多くの水鳥が飛来し、白い軌跡を残しながら水辺に降り立つ姿が間近で見られる。新潟市のベッドタウンでもある周辺には多くの住宅がある町のすぐ側で、これほどすばらしい自然が残る場所があるとは驚きだ。
レンジャーの小林さんは言う。
「ここ福島潟をはじめとした多くの潟は、稲作の水源として古くから活用されてきた場所です。日本中の多くの場所で里山を大切に守り、稲作などの水源としてきたように、この地域の暮らしに潟は欠かせない存在なんです。ここは海岸線から10キロ以上内陸にありますが、海抜ゼロメートル以下の低湿地で何度も水害に見舞われています。護岸工事をして水路を建設すればある程度の水害は防げるかも知れませんが、その度にここに暮らす人達が潟の存続を切望してきました。潟とは山の無いこの地域にとって大切な“里潟”なんです。」
福島潟の入口に近い田んぼには、毎年恒例となった稲の種類、特に黒っぽい葉の“古代米”で輪郭をかたどり絵柄を浮き立たせる「田んぼアート」が栽培されている。東日本大震災があった今年は、被災地に向けたメッセージが描かれていた。田んぼアートや、福島潟に建つ古民家を再現した休憩所“潟来亭”を管理し、潟の保全に尽力している長谷川さんは、自身が1977年の大水害で家も田畑も全て失った辛い経験から、東北の被災された方々にメッセージを送りたいとの思いが強い。福島潟が水害に深く関わっている事も事実だが、この潟があったからこそ復興しようという決意を持てたと、当時の気持ちを語ってくれた。これからも支えてくれる多くのボランティア達と共に福島潟の保全に人生を掛けたいという力強い言葉をいただいた。
レンジャーの小林さんや長谷川さんのような方が居られる限り、福島潟は健やかに次世代へと引き継がれて行くことだろう。真っ白なダイサギが頭上を飛来する姿を眺めながら、美しい福島潟を後にした。
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