8月 14日 2011

連日の猛暑で暖められた日本海から立ち昇る水蒸気が作り出した、見事な入道雲が群青の空に映える。金沢を出発し、その雲を目指すように海岸線を北上すると「千里浜なぎさドライブウェイ」の標識が見えてきた。

行く先には見事な積乱雲が

行く先には見事な積乱雲が

ここは世界でも珍しい海岸線を普通のクルマで走ることができる砂浜の全長8キロのドライブコース。湿気を含んだ砂の路面は固く引き締まって舗装路のように平滑な上に、ロードノイズを吸収してくれるので、もともと静かなプリウスPHVで走ると景色の方が後ろへ流れていくように感じる。潮風と心地よい波の音、雄大な日本海を眺めながら走る爽快感がたまらない。夏場は遠浅の砂浜を訪れる海水浴客が多いため、ロープが張られて通行帯が設けられているが、普段はただ砂の道が続くのみで、さらに快適なドライブが楽しめる。

潮風が心地よい「千里浜なぎさドライブウェイ」

潮風が心地よい「千里浜なぎさドライブウェイ」

「千里浜なぎさドライブウェイ」の砂浜は、波の侵食などでこの10年で約12メートルも侵食されており、このままのペースで侵食が進むと、20年後にはクルマが走ることが出来なくなるという。侵食原因は、ダム建設により川の上流から流れてくる土砂の供給が減ったためとも、地球温暖化による海水面の上昇など諸説あるようだが、近年「千里浜海岸保全対策検討委員会」が設立され、侵食を防ぐ対策を検討し始めている。世界中でアメリカフロリダ州とニュージーランド、そしてここ千里浜海岸の3ヵ所しかないと言われる希少な天然砂のドライブウェイがこの先も楽しめるように願いながら舗装路へと戻った。

輪島塗とふれあう「輪島工房長屋」で充電中

輪島塗とふれあう「輪島工房長屋」で充電中

日本グッドイヤーが社会貢献活動の一貫として行っている「エコキッズ」体験のため、輪島市を訪れた。MY箸を携帯する方も多いと思うが、手作りの箸をちょっと贅沢な「輪島塗」で作ろうという体験教室に、金沢から遊びに来てくれた子供たちと一緒に参加した。かつて漆職人が多く住んでいた場所に建てられたという「輪島工房長屋」は、輪島塗ができるまでの工程や、素晴らしい作品の数々が展示され、輪島塗を知るための施設として人気を集めている。箸つくり体験では絵付け技法の沈金と蒔絵でオリジナルデザインのMY箸を作る事にした。

真剣な表情で箸に蒔絵を施すこ子供たち

真剣な表情で箸に蒔絵を施すこ子供たち

はしゃいでいた子供たちだったが、箸作りが始まるとおしゃべりをやめて真剣な表情に変わり、すっかり輪島塗のとりこになったようだ。仕上げに金粉を振り掛けて出来上がった箸はどれも傑作揃い。蒔絵技法で作った箸は漆が固まるまでに湿気と温度管理をしながら一週間ほど掛かるため、ここへ預けて後で自宅へ配送してもらうのだが、届いたMY箸で食べ物に感謝しながらいただく食事は、さぞ美味しいに違いない。

素敵な箸が出来たね

素敵な箸が出来たね

石川県輪島市河井町にある「輪島工房長屋」のHPはこちら
http://ringisland.jp/nagaya/

参加してくれた子供たちとご父兄の皆様、「輪島工房長屋」の皆様
本日はありがとうございました。

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8月 13日 2011

岐阜と福井の県境を水源とし、奥越山地の鋭角に切り込んだ谷を勢い良く流れる九頭竜川は、中流域に広がる福井平野で一気に開放される。そのため幾度となく氾濫を繰り返し「崩れ川」の異名を持つ一方、肥沃な土壌が豊かな実りをもたらす穀倉地帯でもあった事から、早くから水害を防ぐための治水工事が行われており、その起源は遙か古墳時代にまで遡る。

エコミッションは美濃街道を県境の油坂峠を越えて福井県へと駒を進めた。豊富な降水量の奥越山地の水を溜め込んだ九頭竜湖を過ぎると「恐竜街道」という風変わりな名前の道の駅の看板が目に止まった。隣接する郷土資料館を覗くと、この辺りで映画ジュラシックパークでもおなじみの悪役恐竜「ラプトル」の歯の化石が見つかったことにちなんで恐竜街道としたらしい。九頭竜川沿いの美濃街道を下ると数キロおきに「恐竜街道」の標識が現れる。どうやらあの道の駅から先は、福井県が正式に恐竜街道と命名したようだ。

山道を分け入り発掘現場に到着

山道を分け入り発掘現場に到着

「恐竜街道」をさらに下り、勝山市北谷にある恐竜化石の発掘現場を訪れた。「恐竜渓谷ふくい勝山ジオパーク 」と看板は立っているものの、ひとけのない静かな谷に露(あらわ)になった地層崖が生々しくそびえている。発見現場を間近に見ると恐竜が闊歩していたであろう1億2千万年前に思いが馳せる。看板によると、数キロ下った所に「福井県立恐竜博物館」があるようなので立ち寄る事にした。ちょっと覗くつもりで正直な所あまり過度な期待はしていなかったが、訪れてみてびっくり!国内最大級の近代的な博物館前にはクルマの大行列。館内に入ってまたも驚いた。首都圏などで開催される博覧会を凌駕するほど大規模な展示内容に圧倒される。先程訪れた勝山市北谷で見つかった「フクイサウルス・テトリエンシス」「フクイラプトル・キタダニエンシス」などはもちろんの事、世界中の恐竜化石が所狭しと展示され一日掛かっても全てを見るのは困難なほどの充実ぶりだったが、先を急ぐので後ろ髪を引かれる思いで、恐竜博物館を後にした。恐竜ファンならずとも、特に家族連れにはおすすめしたいスポットだ。

エントランスでは「フクイラプトル」がお出迎え

エントランスでは「フクイラプトル」がお出迎え

「恐竜街道」をさらに下ると目の前を2両編成の路面電車が通り過ぎる。久しぶりのビルに囲まれた街、福井市に到着した。官庁舎が建ち並ぶ中心街で耐震補強を施した福井市企業局ビルの門前に、天然ガスと太陽光パネル発電を燃料電池ユニットに蓄電する設備を発見。プリウスPHVに充電をお願いすると、職員の方々が快く引き受けてくれたので、プラグを“カチッ”と差し込んでいただいた。充電している間、プリウスPHVの性能や、これまでの旅の話題にも熱心に耳を傾けていただき、福井のやさしさに触れる事ができた。
企業局のみなさん、突然のお願いにも関わらず親切に対応していただきありがとうございました。

日本海に注ぐ九頭竜川河口に到着

日本海に注ぐ九頭竜川河口に到着

充電した電気で再スタート。九頭竜川の旅も終宴を向かえEVモード走行で日本海に注ぐ河口を目指した。川幅が広がり緩やかになった川の両側には一面の大豆畑が続き、青々とした葉を茂らせて実りの秋を待っている。わずかに頭を垂れ始めた水田が広がる一大穀倉地帯の先に、ブルーに輝く夏の日本海が見えてきた。奥越山地の源流部から始まる一筋の流れは名勝“東尋坊”の左手で静かに海に溶け込み、全長116キロ・九頭竜川の旅は終わった。

明日からは光り輝く夏の北陸をレポートします。
お楽しみに。

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8月 12日 2011

太平洋と日本海の分水嶺に当たる大日ヶ岳、烏帽子岳周辺の山々から流れこむ豊富な水を満々と湛える御母衣湖を見守るように2本の古木が並んでいる。樹高20m、幹周6mを超える堂々とした姿は圧倒的な存在感と威厳に満ちている。樹齢450年と推定される2本のアズマヒガンザクラは「荘川桜」と呼ばれ、豪雪地として知られるこの辺りの遅い春の開花時には、毎年のように大勢の花見客で賑わいを見せる。真夏に桜とは季節外れと思うだろうが、青々とした葉を茂らせ太陽をいっぱいに浴びて輝く姿も一興。開花のためにパワーを蓄える桜のそばで深呼吸すると、こちらまで元気をもらえる気がする。

荘川桜とプリウスPHV

荘川桜とプリウスPHV

戦後の復興から高度成長期を迎えた頃、電力需要の急激な高まりから日本中で水力発電所建設が進められ、山間部の川沿いの村が次々と湖底に没していった。急流で水量の多い庄川は水力発電を行うには理想的な川として、黒部川など近隣を流れる河川と共に建設計画がスタートしたが、地質調査の結果脆弱な地盤が露呈し、当時発足したばかりの関西電力では工事の遂行が困難であると見た政府は1952年に発足した特殊法人・電源開発(現・電源開発株式会社 J-POWER)に事業を移管させる方針を決めた。

ダム建設が予定された白川村・荘川村は、平地が少なく稲作が出来ない飛騨地方の貴重な穀倉地帯だった。父祖伝来の土地を愛し、除雪作業や合掌造りの建て替えなどを通じて強固な地域共同体が形成されていた住民が「御母衣ダム絶対反対期成同盟死守会」結成して反対運動を展開し保証交渉は難航した。

幸福の覚書
「御母衣ダムの建設によって、立ち退きの余儀ない状況にあいなった時は、貴殿が現在以上に幸福と考えられる方策を我社は責任をもって樹立し、これを実行することを約束する。」

住民に提示した覚書に沿った誠意ある交渉を行うことによって、頑なに拒否していた「死守会」も態度を軟化させて話し合いに応じる姿勢を取り、電源開発の初代総裁・高碕達之助と住民が足掛け7年の歳月を掛け、時には双方が涙しながら膝詰めで互いの真情を吐露し、真正面から対峙した末に、全水没世帯との補償交渉は妥結した。国策を担う重責に向かう覚悟と、それを受け入れた断腸の思いに心打たれるエピソードだ。

「死守会」解散式に招かれた高碕は、自分の責任で水没する集落を散策中に光輪寺境内にある老桜を発見し、水没移住する人々の心のよりどころとして移植することを提案、日本一の桜博士「桜男」と呼ばれていた笹部新太郎に依頼した。現地を訪れた「桜男」は、近くの照蓮寺の境内にもう1本の巨桜を発見し、万が一1本が枯れてももう1本が助かればとの想いから2本の移植を提案する。外傷に弱い桜の古木を移植するのは不可能と言われたが、1960年11月に移植の大工事が行われ、翌春、奇跡的に2本とも蘇生して現在の姿がある。後に高崎が水没した村名にちなんで「荘川桜」と名付けた。

電源開発(J-POWER)は創立50周年を記念して、2002年から荘川桜の実生の実から育てた苗木を全国の小中学校を中心に贈り、植樹を行っているという。荘川桜二世は高碕達之助が残した魂とともに後世に引き継がれている。

遅い春をむかえ満開の荘川桜

遅い春をむかえ満開の荘川桜

荘川桜の詳しい内容はこちらから
http://www.sakura.jpower.co.jp/

※画像提供:電源開発株式会社(J-POWER)様

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