薄日の指す空模様が一転、厚い雲に覆われた途端に雷鳴が轟き、今にも降り出しそうな空模様の中、長良川の水を辿ってきた岐阜の旅も終盤、ついに源流部に到着した。大日ケ岳から湧き出した一滴が小さな流れを作り、白樺が林立する湿原を流れてきた一筋が「分水嶺」で2つに分かれ、一方は長良川となって太平洋へ、もう一方は庄川となって日本海へと注ぐ。これ程はっきりした分水嶺は全国的にもめずらしく、街道筋に近い事から「ひるがの分水嶺公園」として開放され多くの来訪者を集めている。落ち葉を数枚拾って源流から流して見ると、小さな池でくるくると回りながら、やがて2つに別れ吸い込まれるように流れて行った。同じ木から落ちた葉だが2度と出会う事は無いだろう。それぞれの流れる先には全く違った人々の暮らしがあるのだ。そう思うと分水嶺とは何と感慨深いものだろうか。
美味しい水に慣れ親しむ岐阜の人たちが、ここの水は天下一品と口を揃える銘水があると聞き、訪ねて見ることにした。郡上八幡から高賀山を目指して西へ10キロ程走り、長いトンネルをくぐり抜けると、深い緑に包まれた谷に出る。やがて、ごろごろと転がる巨岩の合間を縫うようにエメラルドグリーンの清らかな水が流れる高賀渓谷が現れる。そこから20キロ程山道を分け入った先に、目指す銘水が湧き出る“高賀神水庵”があった。平成8年に円空ゆかりの高賀神社が、参道わきの高賀谷戸で地下約50mの井戸を掘り、宮水として利用したのが始まりで「ふくべの霊水」と呼ばれる。平成9年、愛知工業大学土質工学の大根義男教授が「高賀山周辺は古生代から中生代にできた地質で、1億から2億5千万年前の砂岩層の上に閉じこめられた水が、そのまま湧き出している可能性が高い。」と発表したことから、周辺の人たちがこぞって水を汲みに来るようになった。平成12年には新聞やテレビで、シドニ-オリンピックマラソン金メダリスト高橋尚子選手が愛飲していたと報じられると人気に拍車がかかり、土日は終日行列ができるほどの盛況ぶりだという。
砂利敷の駐車場にプリウスPHVを止め、参道を歩くと東屋風の建物に人が集まっている。神社境内特有の厳かなムード漂う場所に、懇々と湧き出す“ふくべの霊水”をゆっくりと口に含むと、わずかに甘みを感じ、スッと身体に入ってくるような美味しさに驚かされた。一億年以上も前の水が、手にした柄杓の中にあるのが何とも不思議だ。初穂料の100円を払えば自由に汲んで持ち帰る事ができるとあって、大きなポリタンクを抱えた人が次々とやって来る。話を伺うと「この水でご飯を炊くと、ふっくら米粒が立ち、ご飯にツヤが出ておいしく炊き上がるし、お茶とかコーヒーも美味しくなりますよ。」と笑顔で話してくれた。
大垣をスタートし、岐阜、美濃、郡上と長良川を遡りながら“水”を追ったこの旅で、川を愛し、川と共に暮す人々の心に根付く“水”の持つチカラを実感することができました。明日は最上流部に根を下ろす桜の古木の物語を紹介します。
お楽しみに。
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