むつの町を抜けてなだらかな丘陵地を駆け上がると、市街地の先には男性的な輪郭が特徴的な燧岳(ひうちだけ)が勇壮な姿を現し、周囲は見事に手入れの行き届いた銘木「青森ヒバ」の森林が広がっている。最後の丘を越えて視界が開けると、正面には吹き荒れる強風に白く泡立つ津軽海峡が見えてきた。重い鉛色の雲が立ち込め、時折小雨も混じる悪天候だが、無彩色の背景がいかにも最果ての地にふさわしい絶景に重厚な風格を与え、先端の尻屋崎に到着するまでの間、カーブを曲がるたびに表情を変える大パノラマに、何度となく“すごい!”と声を上げながらの感動ドライブを味わう事ができた。
昨日乗船した函館からのフェリーが大間港に着いた時にはすでに陽が落ち、街灯の少ない真っ暗闇のルートをひた走ってホテルに到着したのは午後8時。夕食を食べに繁華街へ出掛けたものの、開いているのは居酒屋ばかりで途方に暮れていると、のれんを下ろしかけていた一軒の中華料理屋が目に止まり、慌てて声を掛けて店に飛び込んだ。食事が済んで店主と雑談している中で、尻屋崎に寒立馬を見に行く話を持ち出すと、知人が寒立馬を管理している牧野組合の組合長だと聞かされた。是非お会いしたいとの申し出に快く応じて先方へ電話まで掛けてくれた。全くもって縁とは不思議で、なんと奥深いものだろうか。
尻屋崎にある東通村に到着して、むつ市の中華料理店「五十番」の店主に紹介された、尻屋牧野組合長の寺道さんを訪ねてお宅を探していると、一台の軽トラックが追い抜いて停車し、がっしりとした体格の男性が降りて近づいてくる。もしやと思って尋ねると、やはり寒立馬の寺道さんだ。ちょうど本業の昆布漁から戻る途中で、運良く出くわして声を掛けてくれたのだった。昆布の加工場がすぐ側にあるというので中を見せてもらうと、温風を送り込んで乾燥させるための部屋には磯の香りが立ち込め、大量の昆布が天井から下がって出荷を控えている。キレイに切り揃えられた乾燥昆布が積み上げられているのを見ていると、おもむろにビニール袋を取り出し、鷲掴みで昆布をつめこんで“ほれ、持ってげ”と無造作に差し出した。最果ての牧野で寒立馬を育てている寺道さんは、朴訥とした男臭い魅力的な方だった。
寺道さんの話では、寒さに耐える持久力と野に放っても自分で食べ物を見つける賢さから、馬屋を必要とせず、長いあいだ野生馬のような状態で飼われて来たが、時代の移り変わりと共に平成7年には9頭までその数を減らし、飼育を止めようと思っていた時に、貴重な寒立馬を守ろうという保護政策がはじまった。現在は40頭ほどに数を増やしているが、この牧野の広さではこれが精一杯でこれ以上増やすつもりはないという。地元では「野放し馬」と呼び、特定の名前は無かったが、尻屋小中学校の校長の岩佐勉先生が詠んだ短歌が由来となって寒立馬と呼ばれるようになった。
東雲に勇みいななく寒立馬 筑紫ヶ原の嵐ものかな
「かんだち」という言葉はカモシカが厳冬のなか、何日もじっとたたずむ姿を地元のマタギの間では「カモシカの寒立」と呼び、校長先生は、野放し馬にも同じような姿を見ることができることから「寒立馬」と命名したと語っている。
尻屋崎周辺は誰でも散策できるが寒立馬が遠くへ行かないよう手前にゲートがあり、日中のみ一般に開放されている。絶景の中で風雪にじっと耐える健気な姿が人気で、観光客も増加しているが、寺道さんの話では、馬を良く知らない方が犬を連れて来て、馬も犬も双方が驚いて暴れるのに巻き込まれて、怪我をするケースが増えているというので注意して欲しいとの事だ。
寺道さんの寒立馬を見に来る時の注意ムービー(下北弁)
尻屋崎には通年強風が吹きつける事から、日本で初めて本格的な風力発電所「岩屋ウインドファーム」が建設された事でも知られている。東通村から山道を登ると、津軽海峡をバックに林立するたくさんの風車が一斉に回る、壮大な風景を目にすることができる。岩屋ウインドファームでは25基の風車で一般家庭3万戸分の電力消費量に相当する最大32,500kwの電気を発電しているが、そのほとんどは尻屋崎で消費される事無く、巨大な変電施設で整流された後、大掛かりな送電線で都市部へと送られて行く。
東京から訪ねた我々の体感温度は真冬以下と、顔がこわばるほどの寒さを体験したが、寒風に絶える寒立馬と、それを活用する風力発電という不思議な取り合わせが、津軽海峡を望む絶景に繰り広げるシーンの数々を目に焼付けながら、尻屋崎を後にした。
ドライブムービー(むつ市〜尻屋崎灯台〜岩屋ウインドファーム)
Music by DEPAPEPE
カテゴリー: ECO-MISSION2011,東北
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