2011年 8月



8月 13日 2011

岐阜と福井の県境を水源とし、奥越山地の鋭角に切り込んだ谷を勢い良く流れる九頭竜川は、中流域に広がる福井平野で一気に開放される。そのため幾度となく氾濫を繰り返し「崩れ川」の異名を持つ一方、肥沃な土壌が豊かな実りをもたらす穀倉地帯でもあった事から、早くから水害を防ぐための治水工事が行われており、その起源は遙か古墳時代にまで遡る。

エコミッションは美濃街道を県境の油坂峠を越えて福井県へと駒を進めた。豊富な降水量の奥越山地の水を溜め込んだ九頭竜湖を過ぎると「恐竜街道」という風変わりな名前の道の駅の看板が目に止まった。隣接する郷土資料館を覗くと、この辺りで映画ジュラシックパークでもおなじみの悪役恐竜「ラプトル」の歯の化石が見つかったことにちなんで恐竜街道としたらしい。九頭竜川沿いの美濃街道を下ると数キロおきに「恐竜街道」の標識が現れる。どうやらあの道の駅から先は、福井県が正式に恐竜街道と命名したようだ。

山道を分け入り発掘現場に到着

山道を分け入り発掘現場に到着

「恐竜街道」をさらに下り、勝山市北谷にある恐竜化石の発掘現場を訪れた。「恐竜渓谷ふくい勝山ジオパーク 」と看板は立っているものの、ひとけのない静かな谷に露(あらわ)になった地層崖が生々しくそびえている。発見現場を間近に見ると恐竜が闊歩していたであろう1億2千万年前に思いが馳せる。看板によると、数キロ下った所に「福井県立恐竜博物館」があるようなので立ち寄る事にした。ちょっと覗くつもりで正直な所あまり過度な期待はしていなかったが、訪れてみてびっくり!国内最大級の近代的な博物館前にはクルマの大行列。館内に入ってまたも驚いた。首都圏などで開催される博覧会を凌駕するほど大規模な展示内容に圧倒される。先程訪れた勝山市北谷で見つかった「フクイサウルス・テトリエンシス」「フクイラプトル・キタダニエンシス」などはもちろんの事、世界中の恐竜化石が所狭しと展示され一日掛かっても全てを見るのは困難なほどの充実ぶりだったが、先を急ぐので後ろ髪を引かれる思いで、恐竜博物館を後にした。恐竜ファンならずとも、特に家族連れにはおすすめしたいスポットだ。

エントランスでは「フクイラプトル」がお出迎え

エントランスでは「フクイラプトル」がお出迎え

「恐竜街道」をさらに下ると目の前を2両編成の路面電車が通り過ぎる。久しぶりのビルに囲まれた街、福井市に到着した。官庁舎が建ち並ぶ中心街で耐震補強を施した福井市企業局ビルの門前に、天然ガスと太陽光パネル発電を燃料電池ユニットに蓄電する設備を発見。プリウスPHVに充電をお願いすると、職員の方々が快く引き受けてくれたので、プラグを“カチッ”と差し込んでいただいた。充電している間、プリウスPHVの性能や、これまでの旅の話題にも熱心に耳を傾けていただき、福井のやさしさに触れる事ができた。
企業局のみなさん、突然のお願いにも関わらず親切に対応していただきありがとうございました。

日本海に注ぐ九頭竜川河口に到着

日本海に注ぐ九頭竜川河口に到着

充電した電気で再スタート。九頭竜川の旅も終宴を向かえEVモード走行で日本海に注ぐ河口を目指した。川幅が広がり緩やかになった川の両側には一面の大豆畑が続き、青々とした葉を茂らせて実りの秋を待っている。わずかに頭を垂れ始めた水田が広がる一大穀倉地帯の先に、ブルーに輝く夏の日本海が見えてきた。奥越山地の源流部から始まる一筋の流れは名勝“東尋坊”の左手で静かに海に溶け込み、全長116キロ・九頭竜川の旅は終わった。

明日からは光り輝く夏の北陸をレポートします。
お楽しみに。


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8月 12日 2011

太平洋と日本海の分水嶺に当たる大日ヶ岳、烏帽子岳周辺の山々から流れこむ豊富な水を満々と湛える御母衣湖を見守るように2本の古木が並んでいる。樹高20m、幹周6mを超える堂々とした姿は圧倒的な存在感と威厳に満ちている。樹齢450年と推定される2本のアズマヒガンザクラは「荘川桜」と呼ばれ、豪雪地として知られるこの辺りの遅い春の開花時には、毎年のように大勢の花見客で賑わいを見せる。真夏に桜とは季節外れと思うだろうが、青々とした葉を茂らせ太陽をいっぱいに浴びて輝く姿も一興。開花のためにパワーを蓄える桜のそばで深呼吸すると、こちらまで元気をもらえる気がする。

荘川桜とプリウスPHV

荘川桜とプリウスPHV

戦後の復興から高度成長期を迎えた頃、電力需要の急激な高まりから日本中で水力発電所建設が進められ、山間部の川沿いの村が次々と湖底に没していった。急流で水量の多い庄川は水力発電を行うには理想的な川として、黒部川など近隣を流れる河川と共に建設計画がスタートしたが、地質調査の結果脆弱な地盤が露呈し、当時発足したばかりの関西電力では工事の遂行が困難であると見た政府は1952年に発足した特殊法人・電源開発(現・電源開発株式会社 J-POWER)に事業を移管させる方針を決めた。

ダム建設が予定された白川村・荘川村は、平地が少なく稲作が出来ない飛騨地方の貴重な穀倉地帯だった。父祖伝来の土地を愛し、除雪作業や合掌造りの建て替えなどを通じて強固な地域共同体が形成されていた住民が「御母衣ダム絶対反対期成同盟死守会」結成して反対運動を展開し保証交渉は難航した。

幸福の覚書
「御母衣ダムの建設によって、立ち退きの余儀ない状況にあいなった時は、貴殿が現在以上に幸福と考えられる方策を我社は責任をもって樹立し、これを実行することを約束する。」

住民に提示した覚書に沿った誠意ある交渉を行うことによって、頑なに拒否していた「死守会」も態度を軟化させて話し合いに応じる姿勢を取り、電源開発の初代総裁・高碕達之助と住民が足掛け7年の歳月を掛け、時には双方が涙しながら膝詰めで互いの真情を吐露し、真正面から対峙した末に、全水没世帯との補償交渉は妥結した。国策を担う重責に向かう覚悟と、それを受け入れた断腸の思いに心打たれるエピソードだ。

「死守会」解散式に招かれた高碕は、自分の責任で水没する集落を散策中に光輪寺境内にある老桜を発見し、水没移住する人々の心のよりどころとして移植することを提案、日本一の桜博士「桜男」と呼ばれていた笹部新太郎に依頼した。現地を訪れた「桜男」は、近くの照蓮寺の境内にもう1本の巨桜を発見し、万が一1本が枯れてももう1本が助かればとの想いから2本の移植を提案する。外傷に弱い桜の古木を移植するのは不可能と言われたが、1960年11月に移植の大工事が行われ、翌春、奇跡的に2本とも蘇生して現在の姿がある。後に高崎が水没した村名にちなんで「荘川桜」と名付けた。

電源開発(J-POWER)は創立50周年を記念して、2002年から荘川桜の実生の実から育てた苗木を全国の小中学校を中心に贈り、植樹を行っているという。荘川桜二世は高碕達之助が残した魂とともに後世に引き継がれている。

遅い春をむかえ満開の荘川桜

遅い春をむかえ満開の荘川桜

荘川桜の詳しい内容はこちらから
http://www.sakura.jpower.co.jp/

※画像提供:電源開発株式会社(J-POWER)様


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8月 11日 2011

分水嶺で遊ぶ子供たち

分水嶺で遊ぶ子供たち

薄日の指す空模様が一転、厚い雲に覆われた途端に雷鳴が轟き、今にも降り出しそうな空模様の中、長良川の水を辿ってきた岐阜の旅も終盤、ついに源流部に到着した。大日ケ岳から湧き出した一滴が小さな流れを作り、白樺が林立する湿原を流れてきた一筋が「分水嶺」で2つに分かれ、一方は長良川となって太平洋へ、もう一方は庄川となって日本海へと注ぐ。これ程はっきりした分水嶺は全国的にもめずらしく、街道筋に近い事から「ひるがの分水嶺公園」として開放され多くの来訪者を集めている。落ち葉を数枚拾って源流から流して見ると、小さな池でくるくると回りながら、やがて2つに別れ吸い込まれるように流れて行った。同じ木から落ちた葉だが2度と出会う事は無いだろう。それぞれの流れる先には全く違った人々の暮らしがあるのだ。そう思うと分水嶺とは何と感慨深いものだろうか。

ひるがの分水嶺公園

ひるがの分水嶺公園

美味しい水に慣れ親しむ岐阜の人たちが、ここの水は天下一品と口を揃える銘水があると聞き、訪ねて見ることにした。郡上八幡から高賀山を目指して西へ10キロ程走り、長いトンネルをくぐり抜けると、深い緑に包まれた谷に出る。やがて、ごろごろと転がる巨岩の合間を縫うようにエメラルドグリーンの清らかな水が流れる高賀渓谷が現れる。そこから20キロ程山道を分け入った先に、目指す銘水が湧き出る“高賀神水庵”があった。平成8年に円空ゆかりの高賀神社が、参道わきの高賀谷戸で地下約50mの井戸を掘り、宮水として利用したのが始まりで「ふくべの霊水」と呼ばれる。平成9年、愛知工業大学土質工学の大根義男教授が「高賀山周辺は古生代から中生代にできた地質で、1億から2億5千万年前の砂岩層の上に閉じこめられた水が、そのまま湧き出している可能性が高い。」と発表したことから、周辺の人たちがこぞって水を汲みに来るようになった。平成12年には新聞やテレビで、シドニ-オリンピックマラソン金メダリスト高橋尚子選手が愛飲していたと報じられると人気に拍車がかかり、土日は終日行列ができるほどの盛況ぶりだという。

柔らかく甘みのある「ふくべの霊水」

柔らかく甘みのある「ふくべの霊水」

砂利敷の駐車場にプリウスPHVを止め、参道を歩くと東屋風の建物に人が集まっている。神社境内特有の厳かなムード漂う場所に、懇々と湧き出す“ふくべの霊水”をゆっくりと口に含むと、わずかに甘みを感じ、スッと身体に入ってくるような美味しさに驚かされた。一億年以上も前の水が、手にした柄杓の中にあるのが何とも不思議だ。初穂料の100円を払えば自由に汲んで持ち帰る事ができるとあって、大きなポリタンクを抱えた人が次々とやって来る。話を伺うと「この水でご飯を炊くと、ふっくら米粒が立ち、ご飯にツヤが出ておいしく炊き上がるし、お茶とかコーヒーも美味しくなりますよ。」と笑顔で話してくれた。

水を求めて沢山の橋を渡った

水を求めて沢山の橋を渡った

大垣をスタートし、岐阜、美濃、郡上と長良川を遡りながら“水”を追ったこの旅で、川を愛し、川と共に暮す人々の心に根付く“水”の持つチカラを実感することができました。明日は最上流部に根を下ろす桜の古木の物語を紹介します。
お楽しみに。


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