2011年 4月



4月 22日 2011

八幡東田エリアの取組み

八幡東田エリアの取組み

かつての北九州市は、八幡製鉄所に代表される重化学工業地帯として日本経済の牽引役を果たしていた。高度経済成長期には、立ち上る排煙を“七色の煙”と称し、繁栄の象徴のように市歌にも唱われるほどの深刻な大気汚染と、林立した工場からの排水で洞海湾が“死の海”と化したため「公害の街」の汚名を記せられる事になる。1970年代に全国各地で起きていた公害問題を取り締まる法案が可決すると、北九州市でも官民一体で公害を克服するための取組みが本格化し、積極的な取組みが目覚ましい成果を見せ、青空と魚の棲む海を取り戻す事ができた。公害克服の過程で得られたノウハウをベースに、持続可能な自然エネルギーを取り入れた次世代の「循環共生まちづくり」が進められている。

手作り感とわかりやすさが魅力的な北九州市環境ミュージム

手作り感とわかりやすさが魅力的な北九州市環境ミュージム

次世代スマートコミュニティとして生まれかわろうとしている八幡東田地区の広大な工場跡地の一角にある「北九州市環境ミュージム」を訪ねた。この施設は、公害を克服してきた北九州の歴史や、すぐに実践できる身近なエコライフを、インタープリター(展示解説員)のきめ細かい解説を受けながら学ぶ環境学習施設。一般の入場者以外にも、九州や西日本の学校が体験学習に利用しており、今日も島根県から小学生の団体が訪れていた。

島根県から環境学習に参加した中学生

島根県から環境学習に参加した中学生

館長の諸藤さんの解説を受けながら展示物を見せていただいたが、その解りやすさと手作り感に好感が持てる。特に、“すぐにでも実践できる”というコンセプトのもと、細部に渡って構成された展示内容は、小学生から大人まで幅広く受け入れられるもので、ここを訪れた事がきっかけとなり、普段の生活に取り入れる方も多いのではと思った。

インタープリターさん“カチッ”とプラグイン

インタープリターさん“カチッ”とプラグイン

環境ミュージアムに隣接する「エコハウス」にプリウスPHVを停め、事務局長の関さんに“電気くださ〜い”と充電をお願いした。風力、太陽光、排出水素による燃料電池など、最先端の持続可能エネルギーが、プリウスPHVへ充電されて行くのが感慨深い。今後も「世界の環境首都」として牽引役を果たそうとしている北九州市の取り組みに注目して行きたい。


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4月 21日 2011

九州で今年2回目の「飛行船教室」を開催するため、佐賀城の隣にある「佐賀市立赤松小学校」を訪ねた。佐賀城本丸を望み、夏には蓮花が咲き誇るうつくしいお堀の傍らに建つ校門は、佐賀城を模した銀に輝く甍(いらか)に堂々とした風格を感じる「しゃちの門」。赤松小学校の児童たちは6年間この門をくぐりながら成長していく。

「しゃちの門」をくぐり。出迎えてくださった先生に話を伺うと、この小学校はもともと佐賀城本丸の跡地にあったが、本丸復元の際、現在の場所へ移転したとの事で、地元では“赤松小学校と言えばお城”というほど佐賀城に縁深い小学校だという。「がばいばあちゃん」のヒットで知られる漫才師の島田洋七さんは、佐賀城の校舎で学んだ卒業生というこぼれ話もいただいた。

美しく復元された佐賀城本丸

美しく復元された佐賀城本丸

体育館が児童580人の熱気で満ちあふれる中、いよいよ飛行船が登場し「飛行船教室」が始まった。大歓声が沸き上がる中をスイスイと飛び回る姿に、はじけるような笑顔がこぼれる。環境負荷の少ない飛行船を通じて、身近なエコについて考える話にも熱心に耳を傾ける子供たちの瞳はキラキラと輝いていた。

発電の仕組みを体験

発電の仕組みを体験

下校時間を告げるチャイムが鳴ると、子供たちが一斉に校庭へ飛び出してきた。体育館前に停まっているプリウスPHVを見つけ、プラグに触れては感激、座席に座っては感動を全身で表しながら、次世代のクルマにいつまでも見入っていた。


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4月 20日 2011

歴代藩主の陣旗が揚る島原城

歴代藩主の陣旗が揚る島原城

島原の町を散策していると、見通しの利く場所や建物の隙間から、白壁にいぶし銀の瓦が美しい「島原城」を望む事ができる。明治の廃城処分で撤去されてしまったため、現在建っているのは50年程前に主要部のみ復元されたものだが、かつての城下の規模からは考えられないほど堅牢で規模も大きい。実際に訪ねてみると、深い掘割りや堅牢な石垣、そびえ立つ天守閣など、随所にこだわりを感じる作りに驚かされる。島原藩2代藩主「松倉重政」が僅か四万石の石高でこのような城を建立したのが原因で財政が逼迫。さらに溶岩質の固い地盤が困難な重労働を強いたために、徴用された領民からついに一揆が起こり、やがて島原の乱へ突入したと言われている。その後も歴史に翻弄され続けた島原城だが、現在は豊富な温泉などと共に、観光の目玉として賑わいを見せている。

島原湧水のひとつ“浜の川湧水”

島原湧水のひとつ“浜の川湧水”

島原といえば温泉が有名だが、銘水の豊富な事でも知られている。普賢岳の伏流水と大手川の地下水脈が、火山地帯を通る時に熱せられたものが温泉として湧き出している。一方、同じ水源から、より浅い地下を通って湧き出す冷水が町の至る所で見られ、島原市内に60箇所を越える湧水場がある。その中でも規模も大きく名水百選にも選ばれている“浜の川湧水”を訪れた。洗濯をしながら井戸端会議に華を咲かすご婦人達に湧水の作法を伺った。「上から飲み水、時計回りに下に進むにしたがって、野菜の洗場、洗濯場。毎日使っていますよ。冬は温かい、夏は冷たい。良い水なんですよ。」水を愛おしみ、下流で使う人に配慮しながら、湧水が生活の一部として使われ続けている。

雲仙の見事な鯉のぼり

雲仙の見事な鯉のぼり

次の訪問地、佐賀へ向かうため、島原を後に有明海沿岸を北上する。すばらしい晴天に恵まれた海辺のドライブは爽快そのもの。雲仙に差し掛かると“端午の節句”を間近に控え、あちらこちらに鯉のぼりが揚っている。その中でもひと際見事な鯉のぼりがはためくお宅を訪ねた。ご長男“ゆうせい君”の初節句のお祝いに、親戚中から贈られた鯉のぼりや旗が、空と有明海の青を背景に力強く舞う姿は勇壮そのものだ。突然の訪問にも関らず、快く撮影させていただきありがとうございました。


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