数日間滞在した松山を後に、松山自動車道を南下した。晴れ渡った青空にくっきりと浮かぶ深緑の山並み。それをすり抜けるようにゆるやかなカーブが続き、時折右手には豊後水道のブルーが見え隠れする。宇和島道路を経由して一般道の宿毛街道(国道56号)へ降りると、目前に宇和海が迫ってきた。真夏を思わせる陽射しを受けて群青色に輝く水面を眺めながら、最高のドライブを楽しむうちに、GAZOO mura 愛南へと辿り着いた。
宿毛街道を離れ、豊後水道に突き出した由良半島へ。海は透明感のある深い青さを一層際立たせ、リアス式海岸の複雑な輪郭と急峻な地形のおかげで、島とも半島とも見分けがつかない陸地が波間に点在している。尾根を走る区間では左右両側とも海岸を望めるのだから、その美しさは格別である。
古代遺跡を思わせる“石垣の里”
向かう先は、石のムラ「外泊(そとどまり)」。激しい季節風や塩害から家や畑を守るために、石を高々と積み上げて石垣とした集落だ。真珠養殖のいかだを抱える入り江と、競り上がるような山々に挟まれた傾斜のきつい場所に、ひとつひとつ石を積みながら、世代を越えて開墾し続けて来た汗の結晶のようなこの場所は“石垣の里”とも呼ばれている。
プリウスPHVを降りて急勾配の石畳を登って行くと、直ぐにその一種異様な光景が目に飛び込んでくる。それはまるで南米ペルー山中で見た「インカ道」を思わせるものだった。この膨大な石を積み上げるには、いったいどれだけの年月と汗が注がれたのか、皆目見当もつかない。
案内板にはこう記してある。
“幕末に外泊地区の東側に隣接する中泊地区の人口が増加し、地区の主導者が各家の二男以下に分家移住を提案した。これに応募した人々により移住がなされ、地名を「外泊」と名付けた。中泊に隣接する入り江の谷を埋めて水路を確保し屋敷地を造成した。全戸の入居が完了したのは明治12年(1879年)頃であった。屋敷地の造成や石垣の積み上げは全て入居者の手で行われた。”
開墾の歴史を感じる“石垣の里”をフィルムに収めてきたので、ご覧ください。
写真では伝わりにくいかも知れないが、実際に目の当たりにすると、石の迷宮に入り込んだような不思議な感覚に囚われる。しかし、過去にはこの倍近い規模の石垣があったというから驚きだ。下の写真は、麓の集会所に掲げられていたパネルを複写させていただいたものだが、これが撮影された昭和40年当時(48年前)家屋もそれを取り囲む段々畑も、遥かに広大な規模だったことが伺える。
高齢化によって手が入らなくなった石垣は、風雨によって崩れたり、草木の緑に飲み込まれ、徐々に消滅して行ったという。近年、「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」、「美しい日本の歴史的風土100選」、「日本の美しいむら農林水産大臣賞」に選定されて以降、地元の方々やボランティアによる石垣の保護・修復が始まっており、トレッキングツアー、石のクラフト展、ライトアップなどのイベントも企画され、観光客も増え始めている。
近くには宇和海久良湾から、引き上げられた、旧日本海軍の戦闘機「紫電改」を展示する紫電改展示館や、360度の絶景が楽しめる「宇和海展望タワー」など見所もたくさんあるので、夏の海水浴シーズンを終えた、これからの時期でも十分に楽しめる。石垣の里と合わせて、是非訪れていただきたいGAZOO mura 愛南のおすすめスポットだ。
GAZOO mura 愛南 由良半島ドライブ
明日はガズームラ愛南で民宿を営んでいる
楽しくやさいしいご夫婦とのふれあいをお届けする予定です。
お楽しみに。
カテゴリー: ECOMISSION2013,Gazoo mura,愛媛県
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